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「できない」を、“新たな可能性” にする考え方

こんばんは。


たとえば、
話すのが苦手とか
事務仕事があんまりとか
お金の計算が不得意とかいうことで


自己嫌悪になっちゃったりすること、
ありませんか?


自己嫌悪は大げさにしても
「あー、自分ってダメだなぁ」
みたいな。


でも、今日、パラリンピック見てて、思ったんです。


パラリンピックに出る人ばっかりじゃなくて
みんな、何らかの形で、
「障がい」を持ってるんじゃないかな、って。


(すごく語弊のある言い方だと思いますが、あえて)


さっき書いた
「話すの苦手、事務仕事・お金の計算不得意」
っていうのも、ふつうそれを障がいとは言わないけれど
あえて、そうとらえる。


だから、苦手なままでいいとか、できなくていいとか
そういうことじゃなくて


それくらいのものなんだってとらえることで
逆に、ラクになる部分もあるんじゃないかなって
思ったんです。


何でかっていうと、話すとか、事務仕事とか、お金の計算って
誰もが普通にしてることっぽいからこそ、
「それができない自分って!」ってなる部分が
大きいんじゃないかなって思ったんですね。


どこかに
「できて当然でしょ!」っていう「しばり」っていうか
自分の声がするから。


その声が、自分を苦しめるという。


だから、あえて、その
「できて当然」を外す意味でも
「障がい」っていうふうに、思ってみる。


逆にそのことで
ひらいてくる扉(とびら)、っていうのも
あると思うんです。


パラリンピックのお話に戻りますが
ちょうど、「ゴールボール」っていう競技をやってたんです。


競技内容やルールは、こんな感じです。
(1分37秒ほどの動画なので、
もしよかったら、見て頂けたらと思います)


パラリンピック競技紹介 ゴールボール 動画


ざっくり言うと
目の不自由な方が、手でゴールにボールを入れ合う、
そしてそれを阻止しあう競技なんですが


ゴールのバーをさわって
自分のいる位置を確認したり


ボールの転がる音、はずむ音で
ボールの位置やタイミングをはかったり等


視覚の不自由さを、他のいろんなものを使って
補(おぎな)ってるんですね。


他の五感だけでなく、「モノ」も使って。


で、すごい、感動的なプレーを見せてくれるという。


それで、この「補う」っていう考え方を、
苦手なこと、不得意なことにも
応用できるんじゃないかな、って思ったんです。


だからってもちろん、
事務仕事とかをあきらめるとかじゃなくて


真っ正面からとりくむ以外の方法を、
さぐってみる。


たとえば、話すのは苦手だけど書くのはOK、だとしたら
前もってわかることは全部書いておいて
セリフとして話すとか。


何か、別の感覚や「モノ」を使って、補えないかなって
さぐってみる。


実際には、すぐには見つからないかもしれないけど
突破口というか、光が見えてくると思うんです。
そうすることで。


「道」にたとえると


1本しかなくて
行き止まりだと思っていた道が


実はまだ何本もあって
しかも、行き止まりじゃない、
って感じになると思うので。


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できないから終わり、じゃない。

できないからこそ始まる、何かがあるんだ。


もし、何かの参考になりましたら、ありがたいです。


最後までお読み下さり、ありがとうございました。


あなたのますますの幸せを、応援しています!


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