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自分にきびしくして、自分を苦しめてしまう、あなたへ

こんばんは。上野です。



自分にきびしくするって、あるじゃないですか。


ものすごく、がんばる(自分にがんばらせる)とか
ちょっとのミスも許さないで、自分にずっとダメ出しして
より上をめざす、とか。


今、書いてて思ったんですが、
これって、何かを達成するのには、
とってもいい姿勢だなって思うんです。


より、質の良いものができるし
向上心にもつながって
さらに、質がよくなってく。


それが、お客様に提供するサービス(商品)だったら
お客様にも、プラスがわたるので
なおさら、いいと思うんです。


お客様にも喜ばれて
それが自分のやる気にもつながって、


より質の良いものに・・・って
プラスの循環に入ると思いますし。


だから、こうやって考えると、
すごくイイコトじゃないかなって思うんです。
「自分にきびしくする」って。


「自分にきびしく」のよしあし


でもその一方、
「それで苦しくなっちゃってる」っていうことも
あると思うんです。


お客様や周りの人から、喜ばれていても。


喜ばれるのはうれしいし、モチベーションにもなるけど
深いところで息苦しさを感じる、みたいな。


どこまでがんばっても、満足できない、
自分に「〇(マル)」をあげられない、
どこまでも、自分を否定し続けてる感じ、みたいな。


もちろん、「自分にきびしく」がいけないわけじゃなくて
人にもよると思うんです。


「ほめて伸びる子」なんてよく言われますけど
逆に、ダメ出しというか、
つめたく、きびしくされた方が合ってる、
っていうこともあると思うんですね。


「負けるもんか」とやる気が出る、
っていう人もいると思うので。


逆に、ほめられると安心しちゃって、
気がゆるんじゃう、とか。


だから、ほんとに、
どっちがいいとかじゃないと思うんですけど


「わたしが、ほんとのほんとに望んでるのは、どっちなのかな」って
自分(あなた)自身にきくことだと思うんです。


自分との対話



そしたら、たとえば


「むかし、子どもの頃に、
デキの良い兄と比べられて、
それがイヤで苦しかった。


でも、自分に厳しくしてがんばったら、
いい成績がとれて、親からほめられた。


何か、兄も、親も『見返せた』感じになって
うれしかった。


だから
『自分にきびしく、って、いいな』
って思った」


無意識かもしれないですが
そんなことがあったりとか
したんじゃないかなと思うんです。


で、その体験から
『自分にきびしく』が習慣になったけど
大人になった今、


「ホントはちょっとつらい、いや、かなりツライ」


なんていうことも、あるんじゃないかと思うんです。
(あくまでもたとえばですよ)


もし、そうだとしたら
何のための「自分にきびしく」なのか
1回、考えなおしてみるのも
いいんじゃないかなと思うんですね。


“成功体験”の再チェック


さっきの例で言えば、子どもの時、親にほめられて
兄も見返せて「やったぜ!」ってなったと思うんです。


だから、これからも「やったぜ!」を感じたいと思って、
その作戦(自分にきびしく)でいった、と。


これって、とっても自然なことだと思うんです。


それで、子どもの時から続けて、今まで続いてきてるとしたら
何度もうまくいった体験があるんだと思うんですね。
きっと。


それも、いい、っていうか
自然なことだと思うんです。


ただ、それでもし、
苦しさを感じてるとしたら・・・


昔、お気に入りだったお洋服


ここで、ちょっとたとえ話になるんですけど


子どもの頃の成功体験って
たとえると
「子どもの時にお気に入りだった服」
みたいに思うんです。


たとえば、5歳くらいの時に、お気に入りだったお洋服。


かわいくて、着心地もよくって、
毎日のように着ていた。


でも、大人になった今、それを着ようと思ったら・・・


もし今も、
「カワイイ!着ていきたい!」って思えるデザインだったとしても
サイズ的に、キビシイですよね。


逆に、もし知らず知らずのうちに着てるとしたら
そりゃ、苦しくなってもムリないって、なりませんか?
「いや、これ着れないでしょ」って。


もし、今、苦しさを感じてるとしたら
もしかしたらそういうところにあるんじゃないかなって
思うんですね。


手をあげて、横断歩道をわたる、40代


別のたとえで言うと
子どもの頃って、横断歩道、手をあげて渡るように
言われてませんでしたか?


それで、手をあげてわたると、先生や親から
「○○ちゃん、よくできたわねー」とか「えらいねー」とか
ほめられたりして。


で、これも、さっきと同じで、もし、大人になった今も、
横断歩道をわたる時、手をあげているとしたら・・・
(もちろん、たとえ話ですし、無意識で、ですよ)


ほめられるどころか
「なあに、あの人?」みたいな目でみられて


逆にこっちは
「なんであんな目でみられてるんだろ?」みたいに感じて


やっぱりちょっと、息苦しさ、っていうか
何かちょっと違和感、みたいなのを感じるんじゃないかなって
思うんですね。


くり返しになりますが
ほんとうに自分が、自分にきびしくするのが好きで
やってるんだったら、いいと思うんです。


ほんとに。


そういう性格、っていうか、
好みの方、合ってる方って、いると思うので。


でも、もしそうじゃなくて
「いや、本当はそうじゃないのに」
「ほんとは、ちょっと息苦しくて・・・」
みたいなことだったら


やっぱり、よーくよーく、心の中を眺めてみるのが
いいんじゃないかなって思うんです。


自分と対話する、というか。


「ほんとは、どうしたいの?ほんとは、何が気持ちいいの?」って。


で、もし少しでも
「あー、ちょっと、本当は、ゆるめたいんだな」
って声があったら、その声に、少しずつでも、したがってみる。


今までは今まで。これからはこれから。


でも逆に、そうなったらなったで
「自分にきびしくしてた今までの自分」
を責めたくなるかもしれない、


そんなことも
あったりするんじゃないかなと思うんです。


「なーんであんなに厳しくしてたんだろ」って。


で、そこのとで、また
自分を責めてしまう。


反省、っていうより、
自分をいじめてしまうくらいに。


「自分にきびしく」って
いろんなカタチであらわれると思うので
そういうこともあったりするんじゃ、って思うんですね。


もちろん
そんなことなかったら、
いいんですけど。


で、もしそういうふうになったとしたら、
「今までは今まで。
これからはこれから」

って、口に出してみる。


自分の言葉って、
自分が一番近くできいてますよね。


だから、自分が一番
影響を受けるんです。
効果があるんです。


だから、まずそれを口に出して
そして、今までは今までで、認めてあげる。


それで、自分(あなた)が守られてきたことも、
きっとあったと思うので。


それはそれとして、認めて、肯定してあげて
その上で、「これからは!」ってする。


こういうのが大切なんじゃないかなって思うんです。


でも逆に
「自分にやさしくしようと思っても、やさしくできない。
どうしてもきびしくしちゃう」

っていうことも、あると思うんです。


そしてこれも
「なんで分かってんのに、きびしくしちゃうの?バカバカ!」って
自分を責めたくなることも
あるかもしれないと思うんです。


でもこれも、ほんとに少しずつだと思うんですね。


今まで、もしかですけど、
何十年も、そうやってきたとしたら
逆に、急に変えようとするのは、
かなり、ムリがあるかもしれないので。


よく、骨折して手術して、手や足をギブスで固めて
その後リハビリ、ってあるじゃないですか?


少しずつ少しずつ、動かしてくやつ。


たとえば、指がギューッと握られてる状態のを
少しずつ、ひらいてく、みたいな。


それくらいの感覚でいるのが
いいんじゃないかなって思うんですね。


ゆるめてくっていうか
自分にやさしくを、なじませてくっていうか。


そのゆっくりさ、というか
ソフトさ自体が、「自分へのやさしさ」に
なると思うので。


さぐりさぐり、マッサージするように


でもこれも、ほんとに
「どれが正解」とかないと思うので


あなた自身と対話して、「これが気持ちいいの?」とか
さぐりさぐり、やさしくマッサージしてあげるような感じで


感覚をつかんでいくのがいいんじゃないかなと思います。


そしたら、きっと、“自分さん”も、よろこんでくれると思うので。


“自分さん”とのコミュニケーションも、きっともっとうまくなって
それまでよりずっとずっと、
「自分にやさしく、心地良く」が、できるようになると思うので。


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自分にきびしくするんじゃない。
自分に、やさしくするんだ。


最後までお読み下さり
ありがとうございました。


あなたの、ますますの幸せを
お祈りしています!



こちらの記事は、【IRM感情科学プログラム】にて学んだことが
含まれています。

※アメーバブログも書いています。
こちらとは、ちょっと違って
一言メッセージ的なものもアップしています。

アメーバブログ
「ことばで生きづらさを軽くする」
https://ameblo.jp/39kotoba/


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