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言語化がなぜ必要なのか


〜言語化とは〜

今日のサッカー界において、言語化という単語が使われることがある。

「言語化」と検索すると、「言葉で表現すること。感情や直感的なものを説明・伝達可能にすること。」とある。一般的な「言語化」の意味として そのように述べられていたが、実はサッカーにおける言語化も同じような意味がある。


〜言語化はつまり〜

サッカーにおける言語化はつまり、プレーの定義づけをすることだろう。

なぜこのプレーを選択すべきだったのか、なぜこのポジションに立つべきだったのかなど、誰かの主観に基づく意見だからこそ、他人に 言葉で説明するのだ。それは言い換えればプレーの定義づけとも言えるだろう。


〜プレーの定義づけが必要な理由〜

では何故プレーの定義づけが必要なのか…。
(今回は指導者目線として考える)

個人的には、「言葉によって選手の頭が整理されるため」「共通認識を深めるため」の2つの理由が考えられる。

まずは、「言葉によって選手の頭が整理される」について。

指導者が選手に対して、ハーフスペースにいてほしいと伝える際、「ここにいろ」と言うのと「ピッチを縦に5分割した際の 外側から2番目のレーンにポジションを取れ」と言うのでは、選手への伝わり方が違う。

選手からすると後者の方が、立つべきポジションが明確である。

この例の場合、「ここにいろ」という言葉でも既に言語化という作業はされている気がするが笑、後者の伝え方と比べると言語化が必要な理由が分かるのではないか。

2つ目の理由として「共通理解を深めるため」というのを上げた。

カオスなサッカーというスポーツにおいて、味方との連携は大切になる。味方同士で プレーや戦術の概念が共通認識として存在していると、チームとして機能する。

そしてその共通理解を持たせるのが指導者の役目であり、そのために言語化が有効である。

勿論、中には指導者が言語化しなくても、その技術や戦術が感覚として身に付いている選手もいるが、その他の選手も含めての共通認識だ。

また、選手と指導者の議論やスタッフ間での議論がらスムーズに行われるという利点もある。これは 共通認識を深めてこその利点なので、言語化が与える影響といえるだろう。


〜まとめ〜

ポイントは言語という媒体を通していることだ。極端な話、全く知らない言語で言語化されても それは言語化とは言えない。

言語を通して伝えることで、選手の頭を整理し、チームとして共通認識を持たせることもできる。

指導者が絶対に持つべき考え方だ。