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スポーツメディアが盛り上げ役になる理由 #さかろぐ #2020apr02

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どうして盛り上げ役になるのか

:ここからは邨田くんと話したいんだけど、基本的には落合さんの問題提起を引き継いで話したいと思っていて、なので「スポーツメディアは盛り上げ役か?」「感動伝達装置か?」という問題提起について。 論点として落合さんの二つの問いを挙げたんですけど、そもそも問いの立て方が上手くないなというのが率直な感想(笑)。AはBでいいのかどうか?っていうのが発展しない問い方だなって。そういう問いを立てちゃうと結局はバランスだよねって話になっちゃうので、視点を変えてそもそもなぜそうなるのかっていう経営の問題だったりとか、メディア界で4社はバランスが悪いんじゃないかとか。

:バランスの問題っていうよりは、公正の問題じゃないかな。報道の偏りの方の問題じゃないかな。

:盛り上げ役でいいのか?という問いに対して、僕は盛り上げ役もあるし、普段報道されない部分もちゃんと報道するって役もあるし、いろんな役割を持ってると思うんですけど。スポンサーって盛り上げ役に徹しがちで、そのときにメディア全体でバランスを取るって考えは必要なのかな。そう見たときに4社、しかも主要な4社となると、かなりバランスが悪い。

:そゆことか。

:例えば朝日新聞が甲子園を大々的にやる、あれはあれでいいと思う。それは朝日だけだからって意味で。だけどもし甲子園を朝日毎日読売日経全社があれだけの熱量でやったら、流石に多様性がないんじゃない?と思った。それと同じことがオリンピックでも起こりうる。

:意味がわかりました。今だったら例えばオリンピックの話で言うと、今あげた4社の中だったら、落合さんがおられた毎日新聞とか朝日もそうだけど、五輪に批判的な報道とか、どういう問題が怒るのかとか、そういう記事を扱うっていうのは、数は多くないけどあることはあった。今こういう状況になったから批判的になるんじゃなくて、5、6年前から、それこそ招致が決定した時から、それでいいの?という報道、そういう例えばスタジアムを建てる際に何が起こったのかとか、どういうことが起こってきたかっていう報道をしてる社もあるにはあった。けど少ないんじゃないかな。
 単純にいうとオリンピックとか甲子園もそうなんやけど、やめた方がいいんじゃないかと、中止とか廃止とか、そういう話にはその(スポンサーの)大会はそもそもならへんっていうのがあって。うちが主催しているスポーツイベントとか展覧会もそうやし、ほとんどイベントはどっか新聞社が入ってる感じはありますけど、どうやってやるかっていう話から出ないっていうのが基本的にある。中止とか廃止を問えないっていうのはあるかな、まず。公正かどうかっていう部分で言ったら、うーんとは思う。

:やめどきってないもんな。

:スポーツイベントをよりよくしていこうっていう、展覧会とかもそうなんやけど、大会をより良くしていこうってスポンサーが行動取るのは当たり前のことで、その外部を問えないっていうのはいつもあると思う。そういう意味の盛り上げ役っていう感じかな。

編集と経営の分離

:それでいうと新聞社の経営戦略として、そもそもなぜそうなるのかってところに行くんだけど、新聞社がイベントをやるっていうのは当たり前になってるよね、今や。新聞を売るのと同様に、広告営業としてイベントは必要で、イベントやったりスポンサーするのは通常営業だよね。だからスポンサーをしたら盛り上げるっていうのは、考えてみると当然の話ではある。だけど問題となるのは、新聞が課せられた公共性、公正な報道のバランスをどう取るんですか。けどこれってずっと言われてることですよね。

コメント:「原則的に『編集と経営の分離』がありますからね」
「つまり経営サイドがスポンサー企業だからといって、編集側が配慮する必要は『原則』ないということです」

:「編集と経営の分離」?邨田くんご存知ですか?

:概念としては知ってる。

:これは報道と経営の論理は分けるってことだよね?最近だと経営はほぼ不動産会社になりつつある新聞社もあるしね。

:スポーツではあまりそれ(編集と経営の分離)が問われないよね?ってことだよね。

:別な話になるけど、プロ野球の再編問題があったときに読売新聞がベタベタな報道をしてた気がする。

:そうなんかな笑

コメント:「なので自社事業だから報道します!ってのは基本的に良くない」

:それは難しい、というか無理やけどな。

:邨田くんがちらっと言ったけど、スポーツならその論理が崩れてもいいよね、みたいな風潮があるのは問題かもね。

:問わない、そういうところは。

:確かに別によくない?って思っちゃう。

:1月に大阪国際女子マラソンをやってて、自分が事業に関わるスタンスは記者じゃなくて広報として活動するスタンスやから、営業部のところにいろんな人と一緒に回ってこういうこと書いてくださいみたいなことをするんやけど。違和感というか、客観的に見たらおかしい話というか。なんでこれをメインで扱うニュースバリューというか、取り上げる価値がどういうとこにあるねん、みたいなんは難しいよな。なんでやってるんですか、なんでこれをこの日を扱ってるんですか、この紙面で量を割いて扱ってるんですか?って言われたら、(自社で)やってるから以外に言いようがない。

:そうか、でもそうだよね。それを社会的価値があるから、っていうのは相当難しいよな。だから竹内さんのコメントはそういう論理じゃなきゃだめだけど、そういう物って現実的にはなさそう。

:社会的価値っていうのが、マラソンを開いてこうなりました、マラソンを開いたことでこうなりました、何々が伝えられますってなったときに、わかりやすい感動みたいな社会の具体的な他の価値とか、何か失われるものよりも感動を伝えますっていう。「感動を伝えることによってあなたの生活に貢献しますよ」じゃないけど。
 っていう意味でわかりやすいし、問われにくい。「感動したよね、この試合盛り上がったよね」(の方が社会的価値を認識しやすい)。

:それが社会的価値として認められてれば。

:盛り上げとか感動を伝達するとかはセットやと思う。

:そうそう、そこはセットで考えていいと思う。
 あとさっきの読売新聞の話は2004年の再編問題でストライキしたことに対して、読売新聞が社説の見出しで「ファン裏切る億万長者のスト」と書いて、完全にストライキを批判してオーナー会議の決定に同意する、っていうことがあった。これは極端な例ではあるけど。

:直接スポンサーとかじゃないもんな。直接保有してるっていう。その関係自体どうやねんって言われたら、100年くらいそれくらい前から遡らなあかんけど。

:特殊例ではあるけど、こういうことが起こりうる。

:わかりやすいよな。

続きます

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