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ぼくの人生第一章2部-サッカー編-

前回は中学編と話していきましたが、今回はサッカー編です!ぼくが1番伸びた時期と言っても過言ではないと思います。それでも山あり谷ありの人生で、もう何しても怒られましたww
保護者の間では「関東のヤクザ」と言われてた覚えがあります!そんなこんで話していきたいと思います!!

-力の差-

ぼくの所属するチームは、県の選抜に選ばれるような人たちが集まる、群馬県でも注目を集めるチームである。そんな中、ぼくはそこのセレクションを受け、見事合格することができた。

練習が始まると、力差は歴然だった。
ぼくも県の選抜に選ばれていたが、ギリギリ選ばれたといっていい。なにせ、選抜の合宿メンバーから一回外されているからだ。こんなにもサッカーが上手くいかないのは初めてだった。メンタルはやられ、プレーも通用しない。
それでも、やらなきゃいけないという感情になった。

-努力の始まり-

ぼくの所属するチームは、平日2回と土日が練習日だ。平日の練習は夜9時までだったが、ぼくは照明が暗くなってもボールを蹴り続けた。
練習日以外にも、近くに小学校があったので、そこにボールを蹴りにいった。

それが報われたのか、みんなの動きがよく見えるようになり、ミニゲームでは打てば決まるという無敵な状態、いわゆるマリオのスター状態になっていた。あ、でも、レインボーには光っていませんよ?

はい、笑った人ーー??

この時、努力のすごさを知った。
それから、自分がどんな能力を持っているのか、何か特徴なのかわかるようになった。

しかし、日々の練習が経過するにつれて、みんなもその能力が高まっていく。
また自分のプレーが通用しなくなったのだ。
スタメンだったぼくは、ある日を境にスタメンを外された。めっちゃ悔しかった。だから、また同じように毎日ボールを蹴り続けた。
でも、ダメだった。

-新しいことにチャレンジ-

ある試合でチームメイトが試合中に鼻血を出し、替わりに自分がでた。その時、自分から名乗り出たのだ。いつもやってるポジションではないが、チームのためにと出場した。
その時感じたことは、意外と違うポジションでも楽しいということだ。

次の試合からぼくはスタメンに戻り、公式戦に全試合スタメンとして出場した。
これは中学1年生の時だ。

-目標達成と共に新たな壁-

中学2年生にあがり、ぼくは一つ上のカテゴリーに上がった。2年生たちと共に練習するのではなく、一つ上の3年生と練習することになったのだ。

目指してる場所でもあった。なぜなら、ぼくが尊敬している先輩が中学2年生の時には1番上のカテゴリーでスタメンだったからだ。ぼくも2年生でスタメンをとりたい。いつしかその一心でサッカーをしていた。

その目標も達成した。2年生でスタメンとしてリーグ戦に出場し、初戦を勝利でかざることができた。でも、その試合で感じたことは、体力的にも、能力的にもすごくギリギリであったことだ。通用するか通用しないか、なんなら通用していないよりだった。普段の練習でも先輩たちはうまく、徐々にメンタルがやられてることがわかった。それから少し、サッカーが嫌いになった。練習後に毎日やってた自主練もやめ、いち早く着替えて親の帰りを待って行った。

そんな日が続いて、ぼくは案の定スタメンは外された。余計にサッカーが嫌いになった。でも、監督はぼくを見放さず、必ず途中から試合に出した。うまくいくわけもない、そんなネガティブなメンタルで試合にでる。体をぶつけることさえ怖かった。でも、やるしかないという気持ちは残っていた。

-意外と単純なぼく-

全国大会に続く関東のトーナメントが来月から始まるという情報を知った時、なぜかすごくやり気がでた。それは理由は一つ。

「はじめての飛行機に乗れるからだ」

北海道ということで、ぼくはまだ飛行機に乗ったことがなく、すごく楽しみになった。

そんな単純な理由で、パフォーマンスはグンと上がり、またスタメンに戻ることができた。
トーナメントは順調に勝ち進み、全国が決まる試合、今までに感じたことない緊張が体に走った。でも、ネガティブにはならなかった。なぜか、楽しみという気持ちしかなく、その試合は見事勝利することができた。

人生初の全国大会が決まった!!
ぼくは全国大会にスタメンとして出ることはなかった。

つまり、ぼくは飛行機しか乗りたくなかったってことだ。北海道のご飯はうまかった。
特に豚丼はすごく印象深い、毎日食いすぎて数年経ってる今でも飽きている。

ぼくは2年生の時はほとんど、上の学年とサッカーを共にした。なんなら上の代の方が仲が良かった。そのため、自分の代の人たちとどう接していいのかわからないww
3年に上がったとき、これは自分の中でかなり深刻な問題となった。

-ラスト1年-

ぼくの深刻な問題は、最後まで解消できなかった気がする。みんなは2年間共にに過ごしてる。
ぼくは1年間離れた。そのブランクはなかなか大きかったと感じる。でも、もともとサッカー中しか自分を出していなかったのも事実。
ぼくがみんなに何も気にせず、好きなように発言できるようになったのは、高校にあがって時々集まるご飯を食べるようになってからだ。すごく遅かったと後悔している。

ラスト1年のサッカーは、1年中怒られた。
まず、3年に上がってすぐ坊主。試合に負けてすぐ坊主。もうメンタルはズタズタ。やる気をなくし、サッカーを休んだ。

何もしても怒られることにすごく嫌になった。
監督は元プロで、あなたの思い通りにはなりません。

そこが間違っていた。

自分はなんために、サッカーをしていたのか。監督の為だったのか、いや、自分のためにやっているのだ。その考えが、自分のメンタルを変えた。

その日からプレーが変わり、ポジションも変わった。監督にも怒られる回数は減った。まぁそれでも、怒られたけどww

サッカーがすごく楽しくなった。
その気持ちのまま、ぼく高校へと進学した。

-終わりに-

この中学3年間は、サッカーが嫌いからやっぱ好きというメンタル的なブレがたくさんあった。実際、誰もがうまくいかないことは嫌いだし、思い通りになることは最高だ。

人生そんな甘くないから、うまくいかない方が多い。だから、うまいくために、数少ないチャンスをつかむ。これは何事にも言えることだ。
たくさん失敗して経験を積んで、いざという時に力が発揮する。その答えが成功でも失敗でも、その過程が絶対自分の力になっている。

「次は成功する、次は成功する」

そう思って行動を続けていれば、いつか必ず成功する。みなさんも継続力を意識してみてください。

2019年9月、ぼくはサッカーをやめた。

次回は高校だよーー!!


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