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本当の下積み

僕ね、最近思うことがあって。下積みって言葉あるじゃないですか。「下積み時代」とかいいますよね。それって、修行期間とか、成功のために踏ん張っている時期のことをいうと思うんですよね。だけど、僕の中で下積みの意味ってちょっと違くて。

僕の中で、下積みって見定めることなんですよね。それは、一生をかけて何をしていきたいか、何を成したいかっていう部分。逆にいうと、本当に自分が人生をかけてもいいと思えるもの、あるいは自分のスタイルを見つけた瞬間に、下積みって終わりかなって思うんですよね。だって、見つけたらあとはやるだけだし、社会的に成功しようが失敗しようが、どうせやるんだからね。自分の外部は関係ないでしょ。むしろ、社会的な成功や失敗に揺られてやめてしまうようなことはそもそもそんなにやりたいことでもないんだと思うので、まだまだ下積み時代ってことだと思いますよ僕は。もちろん、守るべき家族ができたりして、しかたがない事情とかもあると思いますけど、でもそういう人も本当に大事な物は忘れられないはずなので必ずどこかのタイミングで再開しますよ。

で、見定めるって自分のことを正しく理解していないと見定められないんで、とっても難しいし時間がかかることだと思うんです。たぶんね、僕も含めて何を成していくのか迷っている人って多いと思います。自分の中核にある部分って掘り出すの難しいですよ。見定めたと思っていても輪郭が曖昧だったり、一時的な衝動に任せて行動してしまったりね。若いうちはとくに、そもそもの経験量が足りないので、見定めるための材料がないんですよ。うまく見定められない人も多いと思います。

もちろん例外もたくさんいて、子供の頃から夢や目標が決まっている人もいっぱいいるんでしょうけど、でも僕みたいな一般人は何回も迷ったり間違ったりしながら、こっちかな、あっちかなって迷いながら進んでるんです。そういう人が多数だと思うんですよね。そうやって頭をぶつけながらようやく自分を知っていって、何をしたらいいのかを見つけていく。それが下積み時代だと思います。

もちろんね、「下積み」って本来は社会的な状態のことを指すことばなんでしょうし、とくに芸能の世界だと厳格に下積みとプロは分けられているんだと思います。だけど、いろんな業界で成功失敗のラインも今は曖昧じゃないですか。SNSが発達してからは特にそうですよね。お金を一円でも稼いだらプロだっていう人もいるし、それで生活してたら成功っていう人もいるし、気持ちの部分の話をする人もいるし。時代も変わっていって、成功と呼ばれる形も様々。どうせ曖昧だし個人に委ねられている部分も多いと思うので、だったら僕も我流で行かせてもらいますよって感じです。見定めたら下積みは終わりです。少なくとも僕が生きている世界ではそう。見定めたらあとは進むだけだもん。希望しかないでしょ。

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