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「感情任せ」は恥ずかしい

感情的になっているときの自分を振り返る。

キレてしまったときに同時にどれだけ冷静な自分を保てるかってところが大切だと思った出来事があった。

この相反する状態を両立するためにはどうすればいいのか。

まず自分が感情的になっている状態がどんなときなのか、その感覚を思い出す。

次に同じ状態になったときに気を付けておく心の準備が必要だと思う。
それにより、自分が冷静さを失っていることに気づけるようになる。

そして、そういう状態のときに自分をどうコントロールすればいいのかを事前に考えておく必要があるる。

ここからは特に自分が怒っているときに関して取り上げていきたい。

まず、怒りの感情というものは自然発生するモノではなく、自分の意思で起こしているものらしい。

つまり、相手にキレる時は、自分が何か目的を持って、自ら怒りの感情を引き出しているということだ。

キレてしまったから仕方がないのではなく、自分が怒りという感情を自分の意思でしかも目的を持って引き出しているという認識が正しい。

では目的とはいったいどんなものだろうか。
それは相手を論破することかもしれないし、自分が言いたいことをどうにかして理解させたいからかもしれない。

でもそんな内容だったら、不十分だと思う。
ここで言いたい目的とは、より具体的に相手にとって欲しい「行動」がある内容のものなのだ。

例えば、この会話を機に、人に甘えている態度に気づいてもらい、いつも私任せにしている皿洗いを自分でしてもらうためとか。

逆にいえば、無目的に怒ることを人間はやらないということだ。

重要なことは、自分が怒ったときに自分が相手に要求しようとした「目的」の内容の理解なのだ。

感情的になっているとはいえ、そもそもは人間同士のコミュニケーションであり、そこには目的があってコミュニケーションが図られている。

そのコミュニケーションの手段の一つとして「怒り」の感情を自分が持ち出している。
じゃあ自分は「怒り」という手段をなぜ、その時に使ったのかを説明できる状態をつくることが「冷静さ」につながってくる。

そこが説明できない場合は、頭では冷静なのかもしれないが、無意識のうちに「感情的」になっているだけで、何も生み出していないのに等しい。

冷静さを欠いた怒りは相手に攻撃したいだけなのだ。もしくは動物の威嚇と同じで自分を防御しようとしている場合だ。

かくいう僕も、恥ずかしながらまだまだ動物的な怒り方しかできないことが多い。

仕事ができる人は冷静に、コミュニケーションとしての「怒り」を行っていて、自分をコントロールされているから、本当にすごいなと思ったことを今日は書いてみた。


今日も良い一日にします。


2024/03/28

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