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サッカーを頑張った日々
こんばんは
引き続き 断酒 続いてます
最近は YouTube や ゲームをしていて 昔みたいに 本を読んだりしてないです
本を読もうとしても 数ページ読んだらすぐにやめてしまいます
何か そこに書かれていることがだいたいわかってしまうというか
飽き飽きしてる感じがします
ゲームもあまり面白くないですし YouTube も飽きてきました
フットサルは面白いです
ただ 最近足首をひねってしまって フットサルもしばらくできなくなりました
だからゲームをちょっとやったり YouTube をちょっと見たりテレビを少し見たりしてます
本も少し 読んでます
ただ完全に酒を飲みたいという気持ちはなくなりました
本当に酒をやめたら調子がいいからです
インターネットとかで調べたら 他の方も酒を飲まなくなってる人がかなり増えてる気がします
酒は今もどこでも買えます
この感覚は何かに似ている気がします
ずっとそこにあるのに以前はすごく興味があったのに今は興味がなくなってけど ずっとそこにあり続けるもの
自分の場合は何でしょう
こうやって時が流れ続けていく
そしていつか生命が終わる
その時までいろんなことを考えます
どういうことを考えるのかな
たまに自分の昔の記事を読んだりします
すると その時はその時で色々悩みながら それでも楽しそうに生きてる感じがします
あと4年後に今を思い出したら今も今で若くて未熟で楽しそうに見えるでしょう
若い人とフットサルやるとすごく楽しいです
年取った人とゴルフ やってもすごく楽しいです
同年代と音楽やってもすごく楽しいです
断酒という目標が 初めはすごく難しかったのに今は普通になりました
今すごく難しいと思っていること
それは何だろう?
もしそれが見つかったらそれも 毎日少しずつやっていったらいつのまにかできていると思います
僕は昔 サッカーの試合でドリブルしてたら相手の選手にタックルされて転んで 肩を脱臼しました
脱臼 というのは癖になりやすく その後 何回も 軽い衝撃で脱臼してしまいそのまま サッカーへの情熱も失ってしまいました
なぜかというと自分は右のウィングというポジションだったんですが 右利きで右のウィング だと ドリブルする時に左側に相手のディフェンダーがいます
そして僕が脱臼してしまったのは 左の肩だったのでドリブルをしながら相手を左手でカバーすると引っ張られたりして脱臼してました
自分が右のウィングだという固定観念の中にいたので これじゃあもう サッカーできないなと 思い込んでいました
今その時のことを考えるとちょっと頭が固いなと思います
なぜなら 左の肩が脱臼しやすいのなら 左のウイングになって ドリブルすればいいからです
今 ブライトン で活躍している三苫 選手も右利きですが 左のウィングです
ロナウジーニョ 選手も右利きですが 左のエリアで活躍してました
というか今のサッカーの潮流 ですと右利きは左サイド 左利きは右サイド というポジションになっています
バルセロナのヤマル選手 PSG のイガンイン 選手
ソシエダ の久保選手
知っているだけでもこんなにいます
そして 久保選手 野球の 大谷選手
この両選手は肩を脱臼しています
しかし 普通にプレイしています
自分は肩を脱臼したという自分が100%でいられなくなった 変な完璧主義にこだわって サッカーからフェードアウトしてしまいました
ただ今思えばそれは一つの言い訳に感じます
小学生の時には サッカーがあまり得意じゃない 選手もサッカー部しかないので サッカー部に在籍してました
そしてそういう選手が相手チームの左サイドバックになっていました
なので 自分はボールを前に押し出してドリブルするだけでその相手を置き去りにしてました
そして 周りの人からうまいうまいと言われました
中学高校と上がっていくたびに サッカーが好きじゃないのにサッカー部という パターンはなくなり 試合に出てくる選手はある程度 上手い選手ばっかりになります
すると 前に押し出してドリブルしただけじゃ全く抜けなくなります
僕もだんだんそうなってました
なので ギリギリのプレーが多くなり左手を使って相手を抑え込むようにしないと ドリブルが通用しなくなっていきました
なので 左肩の脱臼癖があるとそのプレイスタイルができなくなります
けど昔はうまい うまいと言われていたので ドリブルで抜けなくなることを隠していたような気がします
そして怪我を言い訳にして 第一線から逃げていった
今思えばそういう 側面もあります
10代の若者に そこまでのレベルを追求するのは酷ですが
今思えばそうでした
じゃあ今に置き換えてみます
今は何から逃げ 何を守っているのか?
自分が60代ぐらいになった時に40代の時もっと ああすれば良かったのにと思い返すことがあるのか
それは分かりません
そして自分が10代の時の自分に言いたいことはよく頑張ったな という 称賛 です
肩を怪我しても筋トレ や 最終的には手術をしてどうにか 復帰しようと頑張ってた側面もあるからです
どう転んでもプロにはなれなかったでしょう
だけど色々もがきながらやってました
だから もし 60代の自分が今の自分にもっとこうしろよと指図してきたら今の自分は今 精一杯やってると言い返したいです
多分その時その時
その時のベストを尽くしてたんでしょう
酒を飲みすぎてた時もなんか色々考えて 飲み過ぎてたんでしょう
そして最終的に 今のところ 酒を断つという決断をして本当にそうやっています
そして こういう記録に残る媒体に アウトプットしています
すごい便利な世の中だなと思います
読んでいただきありがとうございました