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未完
先日、Twitterを眺めていると、あるツイートが目についた。
※
社会人として日々生活をしていて、文化的な感性や表現における熱意が徐々に削がれていく気がする。
なにか作品として残したくとも一日を終えて疲れて帰宅すると、もうスマホゲームをするくらいしか意識が向かない。
我々は給料と引き換えにそうしたものも犠牲にしている。
※
当人のツイートを引用して載せる事は控えるが、内容としては確かこんな感じだったと思う。個人的解釈からの歪曲あるかもですが。。
うーん、、確かに。。
素直にそう感じ自然にため息が漏れた。
ここしばらくの間、とはいえ最早2年近く、、自作小説の筆が止まったままだ。
仕事を終え帰宅してから、さあやるぞと机に向かってみても作品の世界へ気持ちが全く溶けていかない。
あまつさえデータすら開かない日も平然とある始末。
自然に動き出すはずの指先が動かず、静止したままのこの悶々とした時間、瞬間を、単に疲労や無才と自己の体たらくの所為として片付けてきたが(それも大いにあるのだけど)前述のツイートを目にした時、ずっと言葉にならなかった気持ちを代弁してくれたような気がした。
靄が晴れる、という感覚にも近い。
最近執筆をするというときに常々頭を支配しているのは
○○しなければならない。という観念だ。
今日こそは、今日こそは、と念じながら画面に向かう。
はて、、
自分はなにをしているのかと我を見る。
書くことが楽しくて書き始めたことが、今は書くことが達成しなければならない義務のように感じられていた。
そんなもんどこにもないのに。
刺激やきっかけを求めて小説家や映画監督のドキュメンタリー映像など観ても、対比にもならない相手を自分と比べて勝手に落ちたり、そもそもこの時間の過ごし方自体が大きな間違いに思えて後から不貞腐れている。
そんな夜を何度となく繰り返して、今日に至る。
なにも気張らずとも1週間に一話は産み出せていたのに、書き方を悪魔に消されたみたいに全く書けなくなった。
沼とか深海とかそんなような場所に引きずり込まれたみたいだ。
誠に不謹慎な話だが、仕事中に見た窓の外の青空や、出先の道なりを歩く鳩の丸々としたフォルムを観た時に突然と書きたい気持ちが現れるときがある。今なら、、今なら!と。
仕事中に小説なんか書けるわけがない。
、、、この文章は休憩中に書いているものだけど。。
しかしいつかはこの悶々とした感覚にも折り合いをつけて書き始めなければならない。
いくら御託を並べてみても、文字通り最後になにも残らなければこの悩む時間も全てが水泡に帰すのだ。
仕事に追われていても、、今日まで作品を産み出したい気持ちは消えていないのだから、できるはずなのだ。
作品は長く残り、人生は短く終わる。
自費出版の経費などを考えています。