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ホワイトデー1985

バレンタインデーの歴史は古く、ローマ帝国の時代から始まったらしい。日本では昭和11年にあの《モロゾフ》製菓が仕掛けてヒットしたという説が有力。それが瞬く間に広がったのは、甘いチョコレートが贅沢品だったことと、男尊女卑だった世の風潮ゆえだろう。
『一年に一度、愛の告白をチョコレートを添えて貴女あなたの好きな貴方あなたへ』なんて、まるで昭和なキャッチコピーが目に浮かぶ。

さて、僕が中学1年生の1985年。その頃でもまだまだ男女同権ではなく、女性からの告白は《アバズレ》扱いされていた。僕らは思春期が始まり、男子同士の気怠い連帯感と女子同士の濃密な一体感がぶつかり合うお年頃。そんな中はじめてのバレンタインチョコを貰った。

2月14日の学校帰りの下駄箱に手紙が添えられて入っていた(現代っ子は「汚い」と言いそうですが、昔はそうだったのです)。もちろんうれしい。反面、誰にも見られたくなかった。なぜって冷やかされるのがオチだから。僕はそっと肩掛けカバンにしまって持ち帰って、家で読み、家で食べた。

ひと月後。僕は数人の女子に囲まれた。モテたのではない、尋問だ。

『アンタ手紙読んだの!?』

うわ、めんどくせっ。奥手だった僕は恋愛なんてサラサラ興味なかったし、返事でも書こうものなら晒し者になりかねない。だからホワイトデーのお返しも手紙も返さずに放ったらかした。するとコノザマ、中学女子の一体感。いい加減にしろ、当事者ではないオマエらに話す必要ねーだろ。本当に鬱陶しくなった僕は吐き捨てた。

『チョコなんて喰わずに捨てたし手紙なんて知らねー』

このウワサは瞬く間に学校中に広まったようで、その後、バレンタインチョコを頂けるワケないに決まっています。おかげで、今でも中学の頃の同級生には《ひとでなし》と言われている。まぁ、そりゃストライクゾーンにモテないわけだ。

チョコも手紙も、かなりの勇気を振り絞ったに違いないので、その子には悪いことした…とは思うけれど、あの頃の自分には精一杯のこと。それに、ハイカカオチョコの比ではない苦い想い出は、きっと思い出したくないと思う。なので僕は心の中だけで謝って、申し訳ない気持ちをずっと抱えていこうと思う。
だから…『ごめんね』は言わない。

あぁ、ガンバラナシませう。

#わたしのバレンタインデー #ホワイトデー #おすすめスイーツ #思春期  



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