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サッカーはやめてしまったけれど その13【19歳の挫折①】

筑波大一本で挑んだ大学受験は見事に玉砕。高校2年生の進路相談で「このまま行けば大丈夫だと思いますよ」と担任の水やんに言われ、何もやらないで大丈夫ならとその通り何にもやらないでいたらダメだった(当たり前だ)。

ちょうど浜松に出来た代々木ゼミナールに、親戚の織田の叔母さんの家に居候させてもらって、磐田から電車で通った。同じ文系国立大コースに現静岡県立静岡高校野球部の栗林監督もいて、彼も磐田出身で母親同士が同級生だったり、同じ筑波大体育学群が志望だったこともあり、時折一緒に予備校へ行ったり帰ったり。

そんな生活の中で、実技試験もある進路の都合上で身体を鈍らせたくなかった。織田家の近くにサッカーショップがあり、そこからの伝手でYAMAHAのサッカースクールにて週一で練習に混ぜてもらった。実業団チームの有名選手がコーチをしていたり一緒にプレーしていたりと随分とハイレベルな環境で楽しくもあるが、どことなく囚われの身な感じのある浪人生には、あまりのめり込めない複雑な心境もあった。それゆえに、下部チームが所属していた*県リーグへの出場や参加を誘われた時も断ってしまった。それは今でも少し後悔がある。

そのチームの練習に来ていた一人に、山口さんという2歳年上の非常にサッカーの上手い、そして人格もよく出来た方がいた。父親同士が昔同僚だったことも判明したり、何となく息のあった兄ちゃんみたいな存在で憧れていた。

年越して1992年を迎えた頃だったと思う。山口さんから「ちょっと相談したいことがあるから」と飯に誘われ浜松に二人で出かけた先で、人生を揺さぶるようなショッキングな出来事に遭遇する。つづく

*県リーグ…静岡県社会人一部リーグ。この上が東海リーグや関東リーグといった地域リーグで、その上がJFL(ジャパンフットボールリーグ)というトップカテゴリーとなっていた。

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