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サッカーはやめてしまったけれど その15【落合先生とバレーボール部】

大学へ入学したばかりの頃の僕は猜疑心で一杯だった。サッカーに挫折し、不可解な形で恋に破れ、歩むべき道を見失って彷徨さまよえる青年期の始まりだった。

そんなだったので一人で行動することが多かった中、ある日見学に行った体育会系男子バレーボール部の練習で*落合先生に会った。先生曰く『名ばかりの監督』とのことで、練習や運営は全て学生に任せており練習に出ることは年に2〜3回あるなし。そんな貴重な機会に顔を出せたことになる。

先生との会話はとてもエキサイティングで不思議な感覚に包まれたものだった。自分の考えているスポーツや部活動の環境・指導のあり方など、若く生意気な胸の内をさらけ出し投げつけるのだが、全てを見透かしたように決して否定せず、そして真摯に受け止めアドバイスをくれる。いったいどれだけ話したのか。練習時間が終わる頃まで話したから3時間近く話していたと思う。

先生がそれだけどっしりとぶつかり稽古の受け手のように出来たのは、心理学の教授でもあり、体育科の教官にして学部長候補にまでなった人格と明晰な頭脳ゆえだと知るのは後に落合ゼミに入ってからだが、その日をキッカケにバレーボール部に入部することに決めた。

サッカー選手という夢を諦め、サッカーの監督ではなくスポーツ全般の楽しさを伝える体育教師になろうと軌道修正したのは先生の影響も多い。卒論はその先生の手伝いとなるようなもので《内的*動機づけ》と《指導者のあり方》に高い相関があるという研究結果だった。報酬や懲罰という外的動機づけではなく、『自ら学び自己の成長に対する喜びこそが向上心や満足を産む』という、現在となっては至極当然な事が、当時の、いや、今現在ですらスポーツや学校体育の現場でないがしろにされているのは残念極まりない。それはつい昨今の体罰のニュース(アメフト・レスリング…etc)でも取り上げられたので覚えがある方も多いと思う。

若き優れたコーチ達が大勢現れていると安堵する一方で、それら旧態依然の指導者が世代交代するのを待つしかないのはじくじたるものがある。それでもいつの時代にも優れた指導者はいるものだ。

当時の僕は、落合先生のように、そして自分自身の理想とする指導者への道に、拙いながらも歩み始めたばかりだった。つづく

*落合先生…当時の横浜国立大学教授で体育心理学・幼児教育が専門。僕にとって恩師と呼べる唯一の方。

*動機づけ…モチベーション

#モチベーションをあげる方法 #指導者の資質 #サッカー #魅力的な指導 #忘れられない先生


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