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自らの死とどう向き合うか?家族の死とどう向き合うか?(読書ノート:老衰死 大切な身内の穏やかな最期のために)

老衰死 大切な身内の穏やかな最期のために NHKスペシャル取材班 講談社(2016)
要約
 内閣府の高齢者意識調査では、91.1%の高齢者が「延命のみを目的とした医療を行わず、自然に任せてほしい」と回答している。他方、「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」は4.5%にとどまる。しかし、同じ調査で、「家族に延命治療を受けさせたい」と回答した人は14.7%となっており、自分自身の延命治療は望まないが、家族には延命のための医療を受けさせたい、と考える人が一定数いることがうかがえる。
 芦花ホームで高齢者の死と向き合う、“平穏死”の提唱者として有名な飛石幸三医師は、延命治療を行わない自然な死は苦しくないという。
 「自分は延命のための医療を望まないが、家族には受けさせたい」「苦しみをとるために医療を望む家族。自然な最期は苦しくないという医師」。これらのギャップ、すれ違いが生まれる背景には、我々が「死を知らない」という事実が横たわっているのではないか、というところから、NHKの記者たちが芦花ホームでの長期にわたる取材から見えてきた人間の終末期の実態と、世界の研究者が明らかにしつつある、人間の死のメカニズムについての最新の知見を組み合わせて、ドキュメンタリーパートとサイエンスパートを織り交ぜつつ、人間の死の様相に迫る濃い内容のノンフィクションとなっている。
 人はなぜ老いるのか?本書によると老化と老衰のメカニズムは以下のとおりである。
 加齢によるストレスが細胞の老化を加速する。修復不能なほどのダメージを負った細胞は次の3種類の反応を示す。一つはアポトーシス(細胞死)である。アポトーシスは日常的に発生している。60兆ある一人の人間の細胞のうち、日々1000億個を超える細胞がアポトーシスによって死滅し新しい細胞と入れ替わっている。もう一つはセネッセンス(細胞老化)で、これは、細胞が細胞分裂を停止することである。どちらもダメージを受けた細胞ががん化する、また、がん細胞が広まるのを防止するメカニズムである。そして三つ目の反応が細胞のがん化である。
 高齢期にはこの細胞の変化から次のことが起こる。過剰なアポトーシスによって、細胞の減少が進み、臓器の萎縮、筋力の低下などが起こる。セネッセンスにより老化細胞内に炎症性サイトカインとよばれる免疫物質が大量に作られ、慢性炎症を引き起こす。この炎症に対処するために、取り込んだ食べ物から作られる単純な化合物が使われ、体を作るのにつかわれなくなる。結果、骨格筋など身体を構成する臓器・器官の細胞が減少、やせ細り、また、腸管の萎縮による消化・吸収能の低下、慢性炎症によるエネルギーの浪費により、「食べても体重が減っていく」ようになる。炎症が進むと脳の中で食欲が抑制されるという現象もみられる。
 やがて「食べても体重が減っていく」状態から「食事量や水分量がいちじるしく減少する」ようになり、終末期にはほとんど食べないようになる。そのとき「家族や医療従事者が悩むのは、『食べないことが死期を早めているのか?それとも、食べたり飲んだりしなくなることは、死に至る過程の一部なのか?』ということ」である。食べないということに胃ろう設置などであらがうか、それとも死への自然の過程と受け入れるか、家族の多くが悩み、医療従事者が苦悩する。
  人工的な栄養摂取の目的は、延命のため、栄養不良による床ずれを防ぐため、栄養状態を改善するため、誤嚥性肺炎を防ぐためである。ところが「これまでの論文ではその有効性が裏付けられて」いない。「最近の研究では、経管栄養をすることが、場合によっては有害である可能性が示唆されている」とのこと。
  しかし、ただただ、食べる量が減っていき、やせ細る過程を見守るのは、家族にとっても医療従事者にとってもつらいことである。
  本書では「スロー・ハンド・フーディング」というケアが紹介されている。本人が好むもの、好きなものを、介助者がゆっくりと少しずつ、口に含ませてあげることである。「患者本人の心地よさが保たれ、ケアをする家族にとっても心安らぐ効果がある」とのことである。
  老化細胞の中で炎症サイトカインが増加し、それが外に出ていくと周囲の細胞も細胞分裂を停止し、細胞老化が促進される。慢性炎症が広がるが、そうなると脳の中で食欲が抑制されるようになる。「(終末期の食べなくなった)人は飢えて死のうとしているわけではありません。そもそも空腹ではないのです」。
  やがて余命数日となると、食べなくなるだけでなく、一日の大半を寝て過ごし、覚醒が難しくなる傾眠状態が強まっていく。いよいよとなってくると、呼吸の仕方が変化し、肩で大きく息を吸い込むような努力呼吸が見られるようになり、さらに、その後、下顎を突き出すような下顎呼吸へと変化する。
  本書は、「死ぬときは苦しくないのか」という難しい問いにもこたえようとする。終末期を看取る現場の医師たちは「自然の経過に任せれば、苦痛のない穏やかな最期を迎えられる」という。「痛みや不快感があると、表情がゆがんだり、筋肉が強張るもの。しかし、自然の流れで最期を迎える人には、そうした傾向は見られない」と。
  高齢で最期を迎えるひとがみな穏やかなわけではない。点滴の量が多すぎたために、全身がぱんぱんにむくんでしまった人は、全身に倦怠感が強く出る場合がある。気道内の分泌物が増え、痰が多くなって吸引の負担が大きくなる。誤嚥性肺炎で高熱と呼吸苦に襲われながら、最期を迎えることもしばしばあるという。
  いくつかの研究は「低栄養・脱水状態に陥ると、鎮痛作用が働く」と結論付ける。βエンドルフィンなどの痛みを緩和する物質が大量に作られるとのことだ。また、体内で作られるケトン体によって感覚の喪失が起こり、痛みを感じくくするとの研究もある。しかしこれらは動物実験による研究結果である。人間を対象とした終末期の苦痛の研究は二つの大きな壁に遮られて進んでいない。一つは終末期の高齢者に侵襲的検査を行うことが倫理的問題があるということ。もう一つは終末期の高齢者の多くは認知症が進行し、苦痛を感じているかどうか、本人の意思を確認できないということ。
 そこである研究者は末期がん患者を対象に疫学調査を行った。がん患者は亡くなる直前まで意思を示せるケースが多く、壁の一つを突破することができる。さらにDS―DAT、アルツハイマー型認知症患者を対象とする不快感尺度を使った研究もオランダで行われた。呼吸音、ネガティブな発声、悲しそうな表情、ボディランゲージなどを観察し、認知症の進行した患者の不快感を評価するものである。人工的な水分・栄養補給を実施しないと決定した後、不快感のレベルがどのように変化していくかを亡くなるまで測定した研究である。それによると人工的な水分・栄養補給の実施を見送った後の生存期間にかかわらず、死が近づくにつれて不快感レベルが下がっていく傾向が見られたとのことである。もっとも生存期間が長かった「42日以内」グループでも不快感レベルは低い状態が最後まで保たれたらしい。
  エディンバラ大学のマクルーリッチ教授は言う。「(自然な形で最期を迎える場合)すべての人に当てはまるかどうかはわかりませんが、ほとんどの場合、痛みを伴わないと考えます」と。痛みを感じるというのは、体が傷を負った場合に直す必要があることを脳に伝える反応が起こるために生じるものである。「死の間際にいる患者の場合、そうした反応が起き」ないそうである。炎症を引き起こすサイトカインなどの影響で、脳が延焼し、萎縮・損傷するためであるようだ。
  ただ、現状明確な答えは科学的には出ていないようだ。アメリカのフェダーコ教授はこういう。「同僚のあいだでも、臨死期に意識混濁状態に陥るのは、痛みを感じないようにするための“保護機能”かどうか、議論したことがあります。確かに、患者本人が生きることをあきらめたかどうかにかかわらず、脳が“もう回復できない”と判断すると、意識レベルが下がり、深い眠りに陥ります。そうして痛みや死への恐怖から身を守っているように見えますが、まだ答えは出ていません」
  本書の最終パートでは、クオリティ・オブ・デス(QOD)という考え方が紹介されている。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉はすでに社会に浸透している。人生の質こそ重要というものだが、少子高齢化が進む中で、死ぬ人の数が大きくなってきており、死の質という視点が求められる社会になってきている。
  スウェーデンでは、医療従事者が患者の予後が長くないと判断したとき、本人やその家族に真実を伝え、「治すための医療」から「安らかな最期を迎えるための医療」へとシフトするための話し合いが行われる。日本でも末期がん患者へのインフォームドコンセントとしてしばしば話し合いが行われているが、スウェーデンではすべての病を対象に行われる。「医療転換の会話」と呼ばれるそうである。
  イギリスでは「人生最終段階のケアシステム」(GSF)というものがほとんどの医療機関、施設で導入されている。取材班はそのうちの一つの老人ホームを取材している。そこで記者は「驚かされたのは、スタッフたちの立ち居振る舞いだ。『ケアをしている』という印象が圧倒的に薄いのだ」と語る。午後のティータイムで、入居者にパンケーキを食べさせながら、スタッフもケーキを口にし、微笑んでいる。入居者と一緒に音楽を聴きつつくつろぎながら、見守りをし、手や背中をさすって不安を取り除いていく。その雰囲気は日本の施設で見た、終末期の入居者に寄り添う家族の雰囲気に似ているという。そういうケアの在り方、そして日常的なケアと並行して、月に一度、スタッフと入居者が終末期のケアの在り方について意思確認の面談をしているという。重要なのは、本人が元気なうちに、最期のケアの在り方、死の迎え方について話し合うこと、そして、本人の最も新しい意思を絶えず確認することであると記者は言う。

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