社会への投資 <個人>を支える<つながり>を築く を読んでの感想

三浦まり編(2018),「社会への投資 <個人>を支える<つながり>を築く」岩波書店
 90年代欧州各国で社会政策として取り入れられていった社会的投資戦略。80年代のサッチャー政権から始まる新自由主義の時代に、批判にさらされた福祉国家が新自由主義に対抗するために打ち出した戦略。
 結果の平等を重視する最低生活保障のための給付行政に対して、投資として社会保障政策を捉え直したもの。子育て、家族支援、教育、職業訓練、地域再生等を通して個々人の潜在的可能性を最大限に発揮できるように支援することを通じて、その就労能力を開放し、納税者のすそ野を広げ、もって経済成長と税収増加を図り、福祉国家の継続性を高める政策。
 投資という以上、見返りが想定されている。1つは経済成長などの経済的見返り、もう一つはコミュニティの再生や社会権保障など社会的見返り。
 社会的投資戦略の系譜は二つあり、一つは北欧に代表される社会民主主義レジームによる「投資」型政策と「補償」型政策の相補的な活用を主とするもの。もう一つはイギリスのブレア政権による「第三の道」に代表される経済的見返りを重視し、財政難の解消を目標に含めた「投資」型政策で「補償」型の公的扶助や失業給付などの代替をはかるあり方。
 社会民主主義的な社会的投資戦略はその成果が顕著に表れているが、一方で第三の道に代表される社会的投資戦略のほうは、社会的見返りが少なく、成果が明瞭ではないようである。
 社会政策レジームの研究で有名なエスピン・アンデルセンは、投資型政策と補償型の政策は補完的な関係にあり、補償型の政策で生活の安定と安心が確保されることが投資的政策がうまく行く前提であると述べているそうだ。
 日本でも最近の選挙での各党の主張など見るに、「人への投資」などの言葉で社会的投資戦略が主張されているが、その背景には財政難と経済の停滞があり、どうしても日本で指向されている社会的投資戦略は第三の道的なものではないかという危惧をぬぐい切れない。
 地域包括ケアシステムの構築の呼びかけや自治体単位での包括的支援体制整備の掛け声は、社会的投資政策で補償的政策を代替させ、財政の悪化をとめたいという思惑があからさまで、やはりとわれるべきは、そのような地域社会の再生にむけての取り組みに国が財政的にどれだけコミットするのかという覚悟ではないかと感じる。
 飯田泰之の「ゼロから学ぶ経済政策」には大きな政府、小さな政府という単純な区分を批判し、「財政の面で大きくて権限面でも大きな政府」「財政の面で大きくて権限面は小さい政府」「財政の面で小さくて権限面でも小さい政府」「財政の面で小さくて権限の面で大きな政府」の四つに分けていたと記憶する。
 地域再生に対して政府が財政面で大きく支援したからといって自治体の裁量を小さくする必要は必ずしもないのではないか。だとしたらいま進めている地域福祉の構築について、財政面でのうらづけをしっかり政府が責任もって行いつつ、地方自治に裁量をゆだねるというのが一番必要なことにも思える。

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