見出し画像

救いは音楽にしかない

自動車学校に行き始めた。漠然とした未来に飛び込むための装備品として、免許証を取ることにしたのだ。今は資格の一つすら持っていないわけだし、自動車が使えるとアルバイトに行くのも楽そうだし。
そうして自動車学校に行き、初めて運転し、コンクリートブロックに幾度か乗り上げ、センスのなさに悩まされ、、、というのが2024年のスタート。
さらに、新作の映画を撮り始めたり、新しいバイトに応募してみたり、宮部みゆきの小説に感動したりと、今年は随分と好調な切り出しをしたように思える。


自動車学校には、まあ、普段関わらないような人もたくさんいる。モラルのない、というのがいいのだろうか、TPOを考えられず騒いだり大人しそうな人に絡んだりしている人のことだ。比較的高い偏差値の高校に進学し、アルバイトも真面目な人ばかりで、自らそういったヤンチャな方々と関わろうともしていなかったので、自動車学校というより中学校に戻った感じがして、懐かしく思えた。ここ数年、平和すぎる生活を送っているわたしには刺激が強かった。別に彼らに何をされたというわけでもないけど。
彼たちが待合室で騒いでいたので、満員電車と同じような不快感の中で授業と授業の間の50分間を過ごした。そのときのわたしは、まるで喫煙者がたばこを求めるように、サラリーマンがビールを求めるように(この表現が間違っていたら申し訳ないです。あくまでわたしの周りの人を見て思いついた表現です)必死に力強く音楽を求めていた。
調子に乗った喋り方と他人を舐め腐った態度が死ぬほど嫌いで、もうほんとにイヤホンをつけたかった。小山田壮平に助けてほしかった。

その次からは、教習所には必ずイヤホンを持って行った。これがないと、息が詰まる。
わたしの救いは音楽だ。いつだって音楽だ。

「青春」と「クラス会」を死ぬほど嫌っていた中学時代にわたしを救ったのは合唱曲だった。
“海が見たい。人を愛したい。”“出かけよう 砂漠捨てて 愛と勇気のあるところ”
わたしもできることならそうしたかった。
塞ぎ込んで、図書室ばかりに逃げて周りのせいにして人と関わるのをやめた自分を哀れに思ったし、後悔した。

そう、少し前まではね。
今はみっっじんも後悔していない。
18の今、わたしは思うけれど、生きている中で選択したことは何一つとして絶対に間違っていないんです。根拠はないけど、少なくともわたしは自分の選択を信じている。間違っていないって。そもそも世の中はケセラセラなわけで、そんなケセラセラの中、自分が望んでした選択に間違いも正解もないだろう。そうなるべくしてそうなったのだろう。
だからあの時、わたしが縋るように合唱曲を聴いて、その素晴らしさに震え、時に涙し、共感していたのも、なるべくしてああなったのだ!

話が脱線した気もするが、結論、音楽は素晴らしい。音楽を聞けば世界はエモーショナルになる。色がつく。世界が素敵に染まっていく。
だから救いを求めて、わたしはまた音楽を聴く。
目を閉じて、イヤホンをつけて、小山田壮平が“大丈夫ですよ 心配ないですよ”なんて優しく歌い出すのをじっと待つ。
次に目を開けた時、世界が穏やかになっていることを祈りながら。

この記事が参加している募集

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?