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砂漠に、放り出された。

「学生は、小さな町に守られているんだよ。町の外には一面、砂漠が広がっているのに、守られた町の中で暮らしている。
町の中にいて、一生懸命、砂漠のことを考えるのが、君たちの仕事かもよ。言っておくけどね、砂漠は酷い場所だよー」

伊坂幸太郎の「砂漠」を読み終えました。

物語は、麻雀で出会った
仙台の国公立大学生 男女5人組の4年間が中心に描かれている。

登場人物のキャラが個々に輝いていて、感じ入る所があるので、是非読んでほしい。

いかにも青春だけではなく、主人公 北村の彼女・鳩麦さんが

「社会」を「砂漠」に、
「学生」を「町の住人」に喩えていたり。

本稿の最初にあるように、
いい感じにピリリとしたスパイスを出していた。

先週から私は社会人で、「町」から「砂漠」へと住み家を変えたばかりなので、
この鳩麦さんの台詞が浸透しました。

学生時代に砂漠について「ああだ こうだ」って言っていたけど。想像以上に「砂漠」は、カラカラで、何もなくて、自ら声を上げないと助けてもらえなくて。的を射ているなと。

社会人経験をある程度持った 鳩麦さんは、こう続けます。

「毎日毎日、わたしたちって必死に生きてるけどさ、どうした正しいかなんて分からないでしょ」
「何をやったら、幸せになれるかなんて、誰も分からない。そうでしょ」
「変な話、砂漠にぼんっと放り出されて、『あとは自由に!』って言われたようなものじゃない」
「どうやって生きればいいか、なんて誰も教えてくれない。お好きなように、と指示されるのって逆につらいと思うんだよね」

「町」から「砂漠」に出て、どうしようもなく、やるせない気持ちになってしまう人って多いんだろうなと思います。

少なくとも私は、多少なりともそういった気持ちがあります。自分の作りたい世界観がうっすらあったとしても、結局「会社」という組織に入った以上は、その世界は遠のいてしまったような心地がする。距離が測れない。会社の中の、とても細分化されてしまった仕事の、どこに、私の叶えたかった世界があるのだろう。どこに行ってしまったのだろう。

でも、ここでいう砂漠は「会社」とか、そういうレベルのことを言っているのではない。
「町」という教育機関を抜け出した後、私みたいな人間は、放り出されたような気分になってしまうのだ。それは「会社」とか、そういうのに環境に関わらず。

『あとは、自由に!』
そんな風に、誰かに言われている気がする。

早く、終わりの見えない、砂漠から抜け出したい。

自分のゴールを見失いかけてしまっているから、「砂漠の出口」が見えないのだと思う。「ゴール」を見失う前に、早く誰かと、語ろうと思う。

気が急いてしまって、とりあえずnoteに帰ってきました。
拙く、迷い丸出しで、お恥ずかしい。

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