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「結局、パス度がすべて」と思っていた

今FTM/FTX用の情報サイトでも作ろうかと思案しているのですが、せっかくnoteがあるので、個人的な考察でも載せてみようと思って書いてみました。

■はじめに

パス度とは、「移行したい性別でどれくらい見られるか、その性別でパスする度合い」のことを指します。例えば、一般的に「ホルモン療法」をしていると、トランス男性の場合は声が低くなったり、筋肉がついたり、体毛が濃くなったりと、「男性」的な容姿に変化していくことから、パス度が高いとされています。パス度が高いほど、男女に分けられる社会の中で「埋没(自分のセクシュアリティについて公言することなく、自分の移行したい性別で過ごすことができること)」することができるとされています。パス度が高いほど「良い」とされ、羨ましがられます。


いつも「パス度」にこだわり、どう振舞ったら「男らしく」なれるか、「男」に見えるか…ホルモン療法ができなかった間は、そのことばかり考えていた気がします。「自分らしさ」よりも、「どうしたら男に見えるか」が先行し、「自分がどうしたいか」を見失っていました。

最近はホルモン療法も始め、当たり前に「男性」だと思われるようになり、ようやく「自分らしさ」を取り戻してきた気がします。しかし、振り返ってみると、あの時は見えない答えを必死に探し、とても苦しかったのを覚えています。・・・本当にパス度が全てなのでしょうか?パスさえしていれば、カミングアウトは必要はないのでしょうか。もしかして、どんな関係性の人かにもよるのでは?と、最近思うところがあったので、ちょっと自分なりに考えてみました。

キャプチャ

※(縦軸)関わる度合い:主に心理的な距離を指しています。今回は会社の設備上必要に迫られるなど、本人の気持ちがあまり関係しないケースは除きます。
※(横軸)パス度:このパス度は、本人が周囲の反応も含め考える「個人が考えるパス度の高さ」であり、個々の主観に応じます。

■(図左下)パス度が低い時、関わる度合いの低い人に対してカミングアウトは「必要ないかも」

パス度が低いと、そもそも自分の望む性で取り扱ってもらうなんてカミングアウトしないとできないものです。でも、カミングアウトってめちゃくちゃリスク。相手にどんな偏見があるか分からないから、言おうかどうかかなり悩むと思います。・・・ですが、そんなに仲が良くない人に言うでしょうか?

そもそも関わりが薄いと、相手への期待値も下がります。「仲がいいアイツにだけは知っていてほしい」と思うほど、うまくいかなかったときダメージは大きいですが、そんなに仲良くない人は期待も薄いし、うまくいかなくても「切っちゃえばいいや」と思うもの。(逆に距離があるからこそ言いやすいという人も当然いると思います)

ぶっちゃけ、道行く人の脳内は、読み取ることができません。「あの人って男?女?」「ここは女性トイレですよ、男性はあっち」など、性別について指摘されて初めて相手がどう自分の性別を判断していたか分かります。つまり、言われなければどう思われていても、分からないから関係ないのです(どーん)。自分で勝手に「あの人から女だと思われているかも」と考えても、もしかして無駄な時間かもしれません。だって、道行く人に対して関心を持たないし、その人と一生付き合っていくわけでもないから。

だから、パス度が低い時、関わる度合いの低い人に対してカミングアウトは「必要ないかも」と考えます。

■(図左上)パス度が低い時、関わる度合いの高い人に対してカミングアウトは「できたら必要」

パス度が低いと、せめて仲のいい人には自分の本当のことを知ってほしいと僕はよく思っていました。自分の望む性で扱ってもらえることは、自分の存在を肯定されている気がするから、とても大事だと思います。でも「もしカミングアウトをして失敗したらどうしよう、今の大事な友人を失ってしまうかもしれない」と、不安は大きいですよね。けど、言わないまま少しずつ嘘を重ねていると、だんだん苦しくなってきます。

僕は2つの経験をしました。1つは仲のいい友達に自分のことを話したら受け入れてくれて、そこから何かあるごとにさりげなくフォローしてもらえたこと。もう1つは、カミングアウトしたら逆にギクシャクしてしまい、疎遠になってしまったこと。どちらもよくあるケースですが、自分のことを知りたい、支えたい、できることがあればしたいと向き合ってもらえることは、何にも代えがたい存在です。

もし、よく関わる人で「この人なら大丈夫かも」と思ったら、カミングアウトをしてみるのもいいかもしれません(でも「この人大丈夫」っていうのは100%じゃないから難しいですよね分かる怖い)。自分が抱えている不安を他の人に話すだけでも、心が軽くなるかもしれません。そういう意味でも、仲のいい人にカミングアウトすることは、「できたら必要」だと思います。

■(図右下)パス度が高い時、関わる度合いの低い人に対してカミングアウトは「必要ない」

さて、ここからはパス度が高い場合のことです。正直、パス度が高いのなら、関わりが薄い人には言う必要がないと思います。だって、もう望む性で扱われているので、わざわざ言わなくても困ることがあまりないからです。

もちろん「トランスジェンダーの存在を可視化したい!」という社会的インパクトを与えたい人はカミングアウトをすればいいと思いますが、僕はようやく「男なのか女なのか分からない存在」から「ただの男性」になれたので、わざわざ関わりのない人に言いたくないなーと思いました。

なので、パス度が高い時、関わる度合いが低い人に対してカミングアウトは「必要ない」と思いました。

■(図右上)パス度が高くて、関わる度合いの高い人に対してカミングアウトは「いずれは必要かも」

パス度が高いと、わざわざカミングアウトしなくても男性として生活できるけど、関係が深くなるとどうしても避けられない場面が出てくると思います例えば性的接触とか、昔話とか、一緒に旅行行ったりとか、トイレとか。シスジェンダーの男性(割り当てられた性別と性自認が一致している男性)だと思われているからこそ、男同士の「当たり前」とされることが分からないときは、どうしても嘘をついたりごまかしたりしないと逃げられません。僕が一番恥ずかしかった経験は、髭剃りジェルをシャンプーと勘違いしたことです…マジでバレるかと思った…(笑)大学で宿泊研修があったときも、大浴場に入れない理由のためにタトゥーでも入れようかと本気で考えていました…。

じゃあカミングアウトしようか、と言われると、やはり男性として当たり前に生活できる居心地の良さを知ってしまったし、わざわざカミングアウトすることで「男ではない何か」とか「元女子」というカテゴライズをされてしまい、相手の対応が変わってしまうのなら、言いたくないと思いました。

でも、僕の独断と偏見ですが、やっぱり仲が良い人は、強力な偏見でもない限り、カミングアウトをしても最終的に同じ人間として接してくれると思うんですよね。仲が深い関係の人って、性別関係なく仲良くなると僕は思っています。仲が良いからこそ、ちゃんと話をする時間を取るし、臆せず突っ込んで聞いてきてくれるし、何かあったら力になってくれる。少しずつ時間と対話を重ねることで、人として理解してくれるからこそ「仲のいい友人」認定をしているんだと思うんですよね。だから、すぐに理解してほしい!という気持ちも分かるのですが、相手も親しい友人の新たな側面を知るので、そこは寛容な気持ちで、自分のことを時間をかけて説明するといいような気がします。

とはいえ、やはりカミングアウトはめちゃくちゃ疲れるので、「いずれは必要」くらいかな~と思いました。

■まとめ

いろんなことをつらつらと書き連ねてみましたが、以上が僕の考えです。パス度はやっぱり大事でしたが、パス度が低い時だからこそカミングアウトをして培った友人たちとの絆は、今でも強固な結びつきです。

最近学生時代の友人の結婚式に呼ばれるのですが、新婦席に堂々と座る僕のことを、誰も悪く言う人はいません。むしろ「名前どうする?変えた方にする?」とか「なんか心配なことある?」とか聞いてくれるので、本当にありがたいです。

「カミングアウト」って、結局は言う側は何も変わらないけど、言われる相手側からしたら「急に知らない人」になってしまう感覚があるのかもしれません。でも、仲が良い人なら、「びびったけど、ただの一側面」くらいに深刻に考えすぎず受け止めてくれるんじゃないかなぁと思っています。だって、もう他にたくさんの側面を知っているから、「未知の生物」にはならないはずなので(笑)

そんなこんなで、個人的な考えですが、何か皆さんの参考になれば幸いです。もちろんカミングアウトを強制するものではありませんし、最終的にカミングアウトするかどうか決めるのは本人次第です。どうか皆さんが少しでも生きやすくなるよう祈っています。


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