見出し画像

旅についての自問自答(2)

(写真)長期間の旅行は荷物の取捨選択を迫られる。写真の台の上の物が荷物のほぼ総てだった。(写真はミャンマー・ヤンゴンにて1996年3月)

旅についての自問自答(1)で書いた内容を一言で要約してしまうと、

「年取ってから旅に出ても、つまらないのではないか?」

という不安と言うか恐れで、

考えてみればつまらなければやめれば良いだけだが、旅に出たらつまらなかった、というのは、ものすごい失敗、徒労、敗北のようにも思えるからこそ恐れているので、旅に出るために犠牲にするものが大きければ大きいほど、そうです。時間とかお金とか家族を含む人間関係とかですが。

旅についての自問自答(1)を書いていて、同じような不安を若い頃(旅行記1994~2000の頃)にも感じていたことを思い出しました。

恐れていたことは、一緒です。

「旅に出て、つまらなかったらどうしよう?」

冒頭の不安には「年を取って」が付いてましたが、それがないだけです。

つまり、今と全く同じ不安と言えます。

その頃、私は長い旅行へ出るために、定職に就かない選択をし、貯めたお金は全て旅行へつぎ込んで帰国後の計画が全くない、という状態でした。そうしないと、数ヶ月~1年以上の旅行へは出ることはできなかった。

それだけのことをして、旅に出てみたらつまらなかったのでは、全く救いようがない、と恐れていました。

そうして恐れ、迷い、揺れていたのが、最初のインド・ネパール3ヶ月の旅行から帰国して、東京で警備員をしていた時です。

はじめにインド行きをすすめた友人からも目的もなく行くのはどうかと思う、と言われ、別の友人からは、楽しいの?一人で?と聞かれ、親には当然反対されて、という状況の中で、迷い、考えていました。↓               旅行記1994~2000(10)一時帰国(1994.10ー1995.3)            https://note.com/so6/n/n7b048ad316b5?magazine_key=mfd7809413989

しかし、恐れや迷いよりも、アジアの空気の中へ身を置きたい、とか、前回行かなかったインドの町へ行きたい、歩きたい、泊まりたい、食べたい、チャイが飲みたい、とかいう思いや、インドの町の匂いや行き交う音や人々の声を思い出し、あの中へまた戻りたい、というほとんど本能的な気持ちが常に勝っていました。

旅行へ行くことと職業的技術を身に着けることを結び付けようとも思い、まず寿司職人になろうかと考えたり、日本語教師の資格試験を受けたりもしましたが、それでは時間が掛かり過ぎるし、行く所も選べない。ただ旅行する、ということを選びました。

1997年に三度目の出発をしますが、この時も初めは中国へ留学しようと考えていましたが、最終的に、ただ旅行することだけを選びました。↓     旅行記1994~2000(43)大阪~中国・上海~烏魯木斉=ウルムチ~阿勒泰=アルタイ・伊寧=イーニン・喀什=カシュガル(1997.9-10)      https://note.com/so6/n/n25454b7beff3?magazine_key=mb0358aadde14  

旅がつまらないはずはなかった。

もちろん長いので、いつも楽しいことばかりではなく、また、楽しさの質とか、つまらないということの定義も、一般的な現代日本人の尺度とは違っている感じで、ずっと人と会わないこともあるし、傍目からはつまらなく見えたかも知れませんが、つまらないことを含めて、長い旅行はあらゆることを教えてくれました。

2000年に帰った時は全くゼロからのスタートとなりましたが、今は後悔してはいません。ただ、別のやり方もあったかも知れませんが。↓       旅行記1994~2000(79)インド・カルカッタ~東京~京都(2000.4)     https://note.com/so6/n/n92b4bf93187b?magazine_key=m910377ad1409

https://www.instagram.com/so6.travel90s/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?