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旅で気付いたこと(4)~やっぱり行って良かった

(写真)北パキスタン・パスー氷河。見られて良かった、忘れられない景色のひとつ。

行ったら「制覇」した気になる、分かった気になる、でも、現実には、行ったからその場所の事を分かったことにはならないのだが、ということを前回書きましたが、

それでは、長い旅行をすることで職歴の空白ができてしまうことの損失を考えると、行かない方が良かったのではないか、との疑問が、傍目からは当然浮かぶと思うのですが、

僕にとっては、あの時行かなければ、その後の人生を生きられなかったぐらいのものであり、

行ったことで視野が広がった、という内的体験は、

決して、その国・地域のことを知った、という限定的なことではなくて、

全てについて深い広い見方ができるようになったというか、世界のつながりを感じられるようになったというか、

それは、旅行へ出なければ得られなかった実感で、行く場所が増えれば増えるほど、実感も確かなものになったと思います。

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↑チベット・ラサのポタラ宮殿。回りの空なども含めて、絶景。

長い旅行へ出る前、日本で働いて資金を貯めていた時は、行くつもりではいながらも、少しの迷いはありました。

行く意味はあるのか、行っても何にもならないのでは?

表面的、社会的には、全く意味のない行動で、

いわゆる、自分に箔を付ける、とかいう考え方とは、全く正反対の行動で、

今の社会システムだと、こういうことをするのは、その後の社会生活を営む上では、断然、不利になります。自分に箔が付くどころか、逆に、自分に泥を塗るような行動です。そのことは、当時から分かっていました。

旅行記1994~2000(10)一時帰国(1994.10ー1995.3)  https://note.com/so6/n/n7b048ad316b5?magazine_key=mfd7809413989

旅行記1994~2000(43)大阪~中国・上海~烏魯木斉=ウルムチ~阿勒泰=アルタイ・伊寧=イーニン・喀什=カシュガル(1997.9-10)
https://note.com/so6/n/n25454b7beff3?magazine_key=mb0358aadde14

それでも、行かずにはいられなかった。

実際に世界を見ることは、それほど魅力的なことでした。

今、自分の経験をこうしてnoteに発表していますが、

今の自分の周囲の人達にかつての旅行の話をしているか、と言うと、していません。

帰国後、しばらくは、自分の職歴がないこともあって、今まで何をしてきたか、と聞かれると、旅行の話をしていましたが、だんだんと、しなくなったのはなぜかと言うと、

多くの人は、実際に世界を見ることの魅力よりも、社会的に有利か不利か、で物事を考えるから、何年も住む所と職を投げ打って旅行するという行動が理解困難ということと、

端的に、アジアや中東や東欧の話をしても、あまり伝わらないからです。

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↑東欧・ボスニアヘルツェゴビナ首都サラエボ市街。

日本と社会システムがほぼ同じである西欧の話だとある程度分かってくれるようですが、西欧には長期間じっくりと居なかったので(ユーロラインバスパスを使って各地を1泊程度ですぐ移動していた)僕自身の印象に残っておらず、あまり話すことがありません。

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        ↑ドイツ・ケルン市街の落書き。

結果、旅行の話はほとんどしなくなってしまいました。

それでも、視野が広がったことは事実で、これは今の自分自身を形作り、自分の行動や考え方の基盤となっています。

旅行記1994~2000(81)京都~奈良(2000以後)  https://note.com/so6/n/n93eee80d64e4?magazine_key=m910377ad1409

もし日本の外へ出ることなく旅行へ出る以前の視野で世の中を見ながら仕事に就いていたら、早晩行き詰まっていたように思います。

https://www.instagram.com/so6.travel90s/






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