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元旅行者の視点から(7)~仕事について②

長期にわたる旅行の契機となった3ヶ月のインド・ネパール旅行(1994年4月~7月)では帰国後に新たな仕事を探すつもりだったので、今現在無職であることに対して深刻に考えることはあまりなかったように思います。

旅行記1994~2000 Ⅰ(1)出発前~(11)再出発          https://note.com/so6/m/mfd7809413989

にゅーばざーる

その後、無期限の旅行がしたくなり1年半の旅行、2年7ヶ月の旅行、と繰り返すうち、仕事をしていないことへの引け目が生まれ、その感情を自分なりに整理しながら旅行を続けていたように思います。

特に1年半の旅行(1995年4月~1996年10月)に出発した当初1~2ヶ月あたりがそうした感情のピークだったかも知れません。

旅行記1994~2000 Ⅱ (12)韓国~(28)インド          https://note.com/so6/m/m597e506abdb3

博多から船で韓国・釜山へ出国し、韓国から中国へ船で渡り、中国大陸からチベットを越えてネパール・インドを目指すルートを取っていましたが、4月10日に出発し5月1日に北京へ着くまでは自分と同じような旅行者にほとんど会わなかったせいもあり、船に乗り合わせた現地の人などからとても珍しがられたこともあり、自分のやろうとしていることを説明しなくてはならない機会も多く、自分はなぜこんな旅行をしているのか、と自問自答することも多かったせいでは、と思います。

天安門

その後、北京で出国後初めてバックパッカーが集まる安宿に泊まり、さらにチベットで自分と同じような長期旅行者=仕事を辞めて出てきている人=にたくさん会い、同じような人がたくさん居れば自分の存在意義や行動の意味を考えたり説明する必要もなくなってくるので、だんだん楽になってはいったのですが。

それでもこの旅行では、その後(ネパール→インド→東南アジア…と行きましたが)も時々、何で自分はこんなことをしてるのか、とふと思うことがありました。

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そうしたネガティブな精神状態にある時思い出すことわざは、

「働かざるもの食うべからず」

働いてないと、食べてはいけないのか。

ただこのことわざが本来意味する「働く」とは、現代のそれとは少し異なるというか、もっと広い意味で、雇われて収入を得る、というようなことではなくて、「傍を楽にする」と言う意味での「働く」ということでしょう。

現代経済社会では、何か生産的な活動をして収入を得ないと働いたことにならないようなところがあるので、意味合いがより狭く、きつくなっている感じです。

僕などは働こうと思えば働けるのだし「食うべからず」に当てはまっている感じですが、生産的でなくても、何かをして何かを思い、考え、学び、伝えたり伝えられたり、といった活動は広い意味での「はたらく」こと(=仕事(身の回りの人・事象に仕えるということ)で、傍を楽にする、というのは、何かを楽しそうにしていて(何かに熱中していて)回りがそれを羨ましく思い真似をする、といったことでも、人に影響を与えることで人を元気にさせているので、広い意味では十分はたらいている、と言えるのでは・・・。

そんな風に旅行中は整理できなかったけど、何となく本能の部分でそう感じながら旅行していて、今では、はっきりとそう思います。

人に影響を与えることや人から影響を受けることは、誰かにどこかに雇われなくても所属しなくても収入がなくても、できるので。

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