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元旅行者の視点から(5)~情報とは

今、日々、日本の中で生活していると、

身の回りにテレビやネット環境が常にあって、

否が応でも情報の渦の中に居るような。

ロシアとウクライナの戦争、新型コロナウイルスの感染状況、北朝鮮のミサイル、開幕したプロ野球、開催中の高校野球、サッカー日本代表、大相撲春場所…。

何でも知ることができる。

そして我々はなぜか何でも知ってるつもりになっている。

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90年代に海外一人旅すること、それは同時に情報から遮断されることをも意味していたように思います。

その情報とは、あくまで、日本で普通に生活していると空気のように得られる情報。日々、日本のメディアから流れてくる情報の事です。

それについては、1994年~2000年まで断続的に長期旅行を繰り返したのですが、2000年帰国後に初めて知った日本の出来事も多かったので、遮断されていたのだな、とは思います。

その情報の中身は、自分が日本に居なかった時に起こった日本国内の事件とか著名人の訃報とか当時流行ったテレビ番組テレビドラマとか当時人気の歌手俳優とかに関することが多いのですが。

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当時はインターネット黎明期で、情報・ニュースの中心は新聞雑誌テレビラジオが中心で、それ以外の情報入手手段が乏しかったのですが、今だとバックパッカーでも常に携帯を持ってその間に日本のニュースを見ることもできるのでしょうから、旅行から帰って来て浦島太郎になった、ということもあの時代あたりが最後で、それ以後は、浦島太郎になりたくてもなれなくなっているのかも知れません。

でもそういった類の情報は、本当の意味での「情報」だろうか、と言う感じもします。

代わりに、長い旅行へ出たことで、日本国内に居たらきっと一生知ることはなかっただろう、生きた「情報」を得られた、とも思います。

それは訪れた国々におけるその時々の最新情報であったり、現地の人から聞く生の話であったり旅行者から聞く生の旅情報であったり、なのですが…。

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しかし、何と言っても最大の情報は、現地の空気、音、匂い、空の色や空気の色、景色、と言ったもので、言語化されないそれらは、太古の昔から変わらずある、厳然とした絶対的な現実でした。

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今、日本で生活していて、また90年代とは時代も変わってネットが発達し、いつでもどこでもネットで言語化された情報を検索する事ができるのですが、日々の空気や音といった圧倒的な現実に目や耳を向けなくなってきているように思います。

言語化された細々した情報の前に、と言うか、その根っこに、と言うか、より絶対的な、言語以前の情報がある、それは何よりも確かだ、ということには、長い旅行へ出たことで気付いたかも知れません。

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https://www.instagram.com/so6.travel90s/

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