経年特化

 昼食を終えてしばらくすると強烈な眠気に襲われて、ヤバいと思いつつ頭をブルブル振ったり顔を叩いたりなんてほぼ毎日のこと。目が回りそうなくらい頭を振って、少しクラクラしてくると、いつもある一人の先生の姿が目に浮かぶ。

 小学4,5,6年生のときの担任の先生だ。見た目もキャラクターもなかなか個性的な人だった。

当時すでに初老だったから、今おいくつになるのかは何となく想像はつく。母が毎年先生に年賀状を出し、毎年返ってくるものにネガティブなことは書かれていないので、お元気なのではと勝手に思っている。


 強い癖毛で全て白髪、そして剛毛。それなのに手入れをしていなかったから、真っ白なアフロヘアーのような髪型で、生徒たちには陰で"カリフラワー"と呼ばれていた。

いつもジャージ姿で竹刀を持ち歩き、それに赤と白のビニールテープをぐるぐる巻きにしていた。滑り止めだったのか、好きな色だったのか、善悪を意味していたのか、考えてはみたが訊くことができないまま、最後まで意味は分からなかった。

けっこうなスパルタな人だったし、生徒に対する好き嫌いもハッキリしていた。特に、自分のクラスの生徒に対してと、他のクラスの生徒に対しては明らかに態度が違うのが、割と可愛がられていた僕にもよく分かった。

ビンタをされたことも何度かあるし、走らされたことや立たされたことなんて数え切れない。「嫌だからやりたくない」は許されず、できないことはできるまでやらされた。

なにかと体罰・虐待と言われかねない今の時代では、彼のような教師は問題になっていたかもしれない。

でも当時は、悪口を言ったり教科書の隅に酷い似顔絵を書いて憂さ晴らしするくらいで、先生なんて"そんなもの"と思っていた。なにより、褒めてくれるときはめちゃくちゃ大袈裟に褒めてくれたのでそれが嬉しくて、先生に褒められたことはオッサンになった今も忘れない。


 でも、一つだけ納得がいかないことがあった。変なことやおかしなことを言う人、先生とは多少理不尽であるものと理解していても、それを言われ命じられると腹が立って悔しかった。

授業中は退屈で眠くなるもの。時代は変われどそういう学生さんはいなくはならないだろう。クラス全員が目を見開いてキラキラさせながら授業に臨む、そんな光景ももしかしたらあるのかもしれないが、僕は金を払って受ける予備校の講義でもそんなのは見たことがない。

寝たらマズい、それは分かっている。だから寝ないように気を張っているのだが、どうしても少し油断した隙にアクビが出てしまう。当時は一クラス40人いかないくらい、それなりの生徒数だったが、銀縁でフレームの大きな眼鏡、その奥の目はいつだって見逃してはくれなかった。

「〇〇!!顔を洗ってこい!!」

バカでかい声で怒鳴られる。

普段は男子生徒なら君付けで呼んでいたが、このときは何故か呼び捨てになった。

怒鳴られるとビクッとして立ち上がり、教室の後ろのドアからそっと廊下に出て顔を洗いに行く。

うっかりハンカチを忘れた日なんかは、拭くものがないからビショビショのまま教室に戻った。

寝てしまったならともかく、アクビをしただけで顔を洗いに行かされる。これがどうしても嫌だった。なにより、その数分間も授業は中断されるわけではないから聞き逃してしまう、と当時の僕は大いに怒りまくっていた。

とはいえ、すごく眠いときはアクビをしないことに集中し過ぎて先生の話が全く頭に入らない、なんてことはしょっちゅうだったが…。

顔を洗いに行かされるのはただでさえ恥ずかしいのに僕も懲りなくて、酷いときは1回の授業で3回怒鳴られたことがある。

今思えば、大勢の中から見逃さないのではなく、目をつけられていたのかもしれない(笑)

 

 先週の日曜日が父の日だったのに帰れなかったので、昨日、2つ隣の区にある実家に帰った。そこでかなり久し振りに姪っ子と甥っ子に会った。下の甥っ子はまだまだ可愛いやんちゃ君なのだが、お姉ちゃんの姪っ子が随分大人びて見えて驚いた。

彼女はヨチヨチの頃から、僕を"おっちゃん"と呼び、僕は可愛くてしょうがなかったから二人で遊びにもよく出掛けた。それがいつからか、男なのに"ちゃん"は変だと"おっくん"と呼ばれるようになった。

日焼けをした彼女は前みたいに「おっくん遊ぼうよ〜」と近づいてくることはなく、少し離れたところから僕を見て、「おっくん、肌白」と言って鼻で笑っていた。


 みんなで食卓を囲み、父と義兄と飲み、久々の実家は賑やかで楽しかった。子供二人の成長について僕が話すと、母や姉は子育ての楽しさや難しさについていろいろな話を聞かせてくれて興味深かった。

僕は独身で子供はいないので喜びも苦労も詳しくは分からない。でも、簡単でも単純でもないのは聞くだけでもよく分かる。

まして、先生の場合他人の子供なのだから、あの時、隣の教室に聞こえそうなほどの大きな声で怒鳴っていた先生はどんな気持ちだったのだろうか…。


 

 普段家で一人で飲んでいる僕は楽しくてつい飲みすぎてしまったのか、甥っ子が腹に乗ってきた苦しさで目が覚めた。

「おっくん、起きてー。レゴやろうよー」

「ちょっと待って…。頭痛いわ…」

すると、ジュースを飲まない姪っ子はクールに炭酸水を飲みながら、冷めた目で僕を見ながらこう言った。

「おっくん、顔洗ってくれば…」


僕は洗面所に行き、真っ赤になった顔を見て"ダサいところを見せてしまった"と小さくため息をついた。ぬるま湯になっていたレバーを一番右まで捻った。

一瞬ドキッとするほど冷たい水が顔に当たると、先生の顔と声が頭に浮かんだ。

仕事中眠くて眠くてどうしようもなくなり、アクビが止まらなくなると顔を洗いに行く。あれだけ嫌だった先生の教えを守っているのか、それとも頭から離れないだけなのか。

冷水で顔を洗うと、今もいつでも頭が冴えてくる。


 

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