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土曜の夜に

ずっと家に引きこもっているせいか、最近人と他愛もない話が出来なくてもどかしさを感じることが多くなってきた。なんなんだこのモヤモヤは。ええい吐き出してしまおう。どこがいい場所はないかと思っていたらnoteに辿り着いた。

noteに投稿、などと言えばちょっとオシャレに聞こえるが、書き始めてから気づいた、ぼくは文章を書くのがなかなかに下手である。加えて人に話して伝えるのもなかなかに下手ときている。このままだとなかなかに下手なことだらけ人間になってしまう。一人で勝手に悔しくなってきたのでここで自分の気持ちや考えを言語化する練習も兼ねてやってやろうじゃないかということにした。

かれこれ20年ほど生きてきたが、この言語化という作業がぼくは本当にずっと苦手だ。普段から頭の中では色んな考えがあっちこっち飛び回っているし、なるほど!とかこれ面白くね?ってことを考えついたりもするんだけど、それを自分の外に出そうとすると急に元気が無くなってしまう。ううー、違う、おれはこんなことが言いたいんじゃないんだ、といつも喋り始めて5秒後くらいには思っている。ここ数年で言えば、大学の授業のレポートとかだっていつも構想を練る段階がピーク。満を持してワードを立ち上げ、いざ書き始めようとすると全然進まないし、ゼイゼイ言いながらなんとか結論に辿り着く頃にはもう何が言いたいんだか自分でもよくわからなくなってる。次々と出来上がるゴミを提出し続けてもう3年も経ってしまった。なんか思い出してたらこれから投稿が続くのか不安になってきたぞ。

文章を書く、となったときに思い浮かぶ人がいる。

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作家の椎名誠さんだ。「岳物語」など小説はもちろん、映画なんかも撮っている方だけど、ぼくが好きでよく読むのはエッセイ集だ。週刊誌の連載をまとめたもので、1冊に短いエッセイが50編近く入っている。元々母親が好きで、中学生の頃に家に何冊もあったのを読み漁っていたらあっという間にハマってしまったのだった。

世のサラリーマンがお昼休みに流し読みするようなものに何で中学生がハマってんねんという感じだが、何が面白いってまず内容がぶっ飛んでいるのだ。椎名さんは、秘境・辺境と呼ばれるところには大体行ったんじゃないかと思うくらい世界中探検しているような方なので、その経験とユーモアにかかると日常で生まれるちょっとした話題も独特のクレイジーさを醸し出してくるのである。さらにはエッセイならではの文体も面白い。いい意味で統一感が無いし、漢字とひらがなのバランスなんかも絶妙。要はそのテキトーさが良いのだと思う。読んでると親戚のおっちゃんの話を隣で聞いてるみたいな気分になる。せっかくなので写真の本に入ってるエッセイのタイトルをいくつか紹介。

「中国のあなどれない公開便所」

「あつあつカリカリのコブラサンド」

「役人を琵琶湖に投げろ」

「風景の賞味期限」

ほら、タイトルだけで相当クレイジー。公開便所の話なんか終いには国ごとの価値観の話になっていったりするから本当にあなどれない。こんな調子で50編くらい続いていくので読み終わるころには自分の中に椎名マインドが出来上がっている。

そう、なんで椎名さんを思い浮かべるかという話だった。ぼくがいつもこの破天荒なエッセイを読んでいると、どこからともなく「文章なんて自分の好きなように、構えず気楽に書けばいいんだぜ」とシーナおじさんの声が聞こえてくるのだ。そして気づいた頃には自分も文書を書いてみたくなっちゃったりしているんだから不思議だ。そりゃこんな面白いエッセイを書くにはぼくはまだ青二才すぎだが、ちょっと近所を散歩するノリで文章らしきものを書くくらいならできそうじゃないか。

これまでに何度も日記に挑戦しては数日で力尽きるような奴が果たして書き続けられるのか甚だ疑問ではあるけど、オンラインの場所で書けばちょっとは違うんじゃね?などとあさっての方向を見つめながら見切り発車してしまった。どうなるんだろうか。不定期でいいから書くんだぞ。

普段ぼくは、音楽や映画に触れたり写真を撮ったりしていると、自分が無敵に感じてくることがよくある。思い上がりが激しいのでよくこんな感覚になるのだ。このときの気分は最高だし、生きててよかったーーと心から思う。文章を書くこともいつかそんな風になったらいいなあと思いつつ、まずは何も考えずに書くところから始めてみよう。


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