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ハロー、ミライ

最初は船の上から見る曖昧な時間の空の色が好きだったけど、今ではすっかり手の平の画面をスクロールする時間に変わってしまった。

ガコッと鈍い音を立てて止まった後、船は勝手に逃げて行かないように停泊所に繋ぎとめられる。

係のおじさんが出口を開けるのを合図に、真っ先に船を降りて駐輪場へと向かうのがぼくのいつものルーティンだ。



毎日島と本土とを行き来する生活を始めてもうすぐ半年。とは言っても船で数分の距離だから大したことじゃないのかもしれない。

本土の最寄からは更に5駅ほど電車に揺られて、この辺りでは一応「都会」と呼ばれる街にある高校に、ぼくはこの春から通い始めたのだ。

中学校を卒業するまでは島で全ての生活が完結していたから、突然目まぐるしく広がっていった世界に嬉しさ反面、たまに体が追い付かなくなることもある。

こうして毎日見慣れた場所まで戻ってくると、気づかないうちに溜まっていた疲れがどっと押し寄せてくる。

背負っているギターも西日を吸収してずっしりと重い。



駐輪場を出た後は、道なりになだらかな坂をずっと下っていけば家に辿り着く。

今日はスーパーに寄ってアイスでも買おうかな、とぼんやり考えながら押し出した自転車に一息で飛び乗った。



海沿いには造船工場の建物が2つある以外遮るものは何もないから、右には大きく本土が横たわっているのが見える。自転車をかっ飛ばしながらの眺めはなかなか気持ちいい。

ハドソン川を挟んで見えるマンハッタンが一瞬頭に浮かんで目の前の景色と重ねてみたけど、ダメだ、無理がある。せいぜい合っているのは距離感くらいだ。でも、気持ちはいつだってピーターになれるくらいぼくはスパイダーマンが好きだ。

スポティファイのシャッフル再生からは、よく知らないK-POPグループの曲が終わって、ビリー・アイリッシュの新曲が流れ始めていた。



元々東京で暮らしていた両親は、離島生活がしたくてこの島に行き着いたらしい。その後生まれたぼくは15年間ずっとこの島で暮らしてきた。

小さい頃から遊んでいた友達とは今でも仲が良いし、なによりちょっとのんびりしたこの島の空気が好きだ。

なのに、最近感じるこの窮屈さは何なのだろう。ここには収まりきらない、どこか別の場所に行きたがっているぼくが、ぼくの中にはいる。

もしも東京で生まれていたら、はたまた海を渡った別の国の人間だったら、ぼくには絶対に経験し得ない15年間をよく想像したりする。



高校では音楽の趣味が合う友達が初めてできた。たまたま同じ日に軽音部を見学していた子と The1975 の話で盛り上がって、そのまま二人で入部届を一緒に書いた。日常にぽっかりと空いていた穴が一つ埋まった気がして、あの日の帰り道はなんだか心が軽かった。

少しずつだ。ぼくの周りにある世界は今間違いなく広がり始めているし、これからも自分の手で押し広げていかなきゃいけない。

全てが完璧で、上手くいっている未来などはないけど、同時にまだ不確定でもあることを忘れてはいけない、って誰かも言ってたしなあ。



人の気配を感じて我に返ると、前後をサイクリング集団に囲まれていた。

今走っている道は有名なツーリングのルートに設定されていて、最近は全国各地からわざわざ走りに来る人が沢山いるから、もうこの光景にも慣れている。ぼくの家はこの道がカーブに入る辺りに面して建っている。



このままこの人たちと一緒に走っていったらどうなるんだろう。

家を通り過ぎて、橋を渡って島をいくつも越えて、ずっとずっと遠い場所に辿り着く。考えてみたら、今ぼくが走っている道は気が遠くなるくらい果てしなく先まで続いているのだ。



あ、アイス買うのすっかり忘れていたけど、まあ今日はもういいかな。

ギターを背負ってノロノロ漕いでいたからあっという間に追い越されてしまった。さっきまで横にいた人がどんどん小さくなっていくのを見ていたら無性に悔しさが湧いてきて、スピードを上げる。

いつもの見慣れた帰り道なのに、今日は自分の道を走っている気がした。



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