見出し画像

勝負に対する選択~価値観の違い その1

野球に見る勝負の価値観

2022年8月12日(金)
テレビ画面は阪神-中日戦の放送を開始していた。
すでに興味の失せている私が通りすがりに観たのは、1回表で中日が2点を入れたスコアだった。
「1回表でもう終わったか…」
これには紛れもない確信があり、自信を持ってそう判断していた。
「ここから西勇君が立ち直って好投したところで、気の毒にな。」との思いが湧いた。

昨年から特にそうなのだ。
多くの選手の調子が良ければそこそこの成績を残すチームなのだが、ひとたび調子を悪くした選手が増えるとたちまちに負けがこむ。
ましてや2022年8月12日は選手にコロナ陽性者が増えて主力が何人も欠けている。
監督は「俺らの野球」という言葉をよく口にするが、私にはその野球がどういう野球なのか明確に理解できない。
確かに盗塁を含めて積極的な走塁を一つの看板にしているのはわかる。
だけどどうだろう。選手の調子が悪い時、素直にバットが出ない、ボール球ばかり振る、ここはヒットでなくても、という時こそ積極走塁を仕掛けるべきではないのだろうか?
でも、それはない、と私には見える。
ヒットが出ないから、もしも盗塁失敗に終わったら…と選手が思うところを、グッと背中を押して責任を背負うのがベンチではないのだろうか?

8月12日、終わった結果を見ると阪神0-4中日。
西勇くんは少し立ち直って頑張ったんだねと思ったが、私がたちまちに下していた判断は間違ってなかった。
家族には言っていた。
「今のタイガースは1点でも取られたらその時点で負けは決定だよ。自分から点は取れないから。0点に押さえていれば相手がエラーで1点くらいくれるかもしれないのを待つしかない、ピッチャーも辛いよね。」

ベンチが見せた勝負の選択

2週間ほど前。
7月30日に阪神-ヤクルトで延長になったとき、2塁にランナーを置いて村神様を敬遠しない選択をした瞬間に私は確信した。
この日、ヤクルトは神様の2本の本塁打で同点に追いついているのだ。
タイガースのチームのベンチの「勝負」という考え方は私とは全く違う。
この試合でのタイガースはヤクルトに勝たなくてはならなかった。
しかし、延長に入ってタイガースが得点できる雰囲気は皆無。
当然に次善の求める結果はヤクルトに勝たせないことと自分が負けないことなのだ。
そのための選択が村神様との勝負に、私ならならない。

誰しも勝負に対する考え方は違うだろう。
もちろん私は野球で飯を食ってきた者ではない。
だが、博打などではなく仕事上での勝負の判断は何度もやってきた。
最悪の結果を考えて、それを避ける勝負が必要なときもある。

私は長く野球を見てきた。
勝負師ともいわれた監督も見てきたし、野球は頭でするものだと明言した監督も尊敬している。
それだけに、私と価値観が違いすぎる勝負をしたいのらしいベンチの野球は観る気も応援する気もしぼんでしまう。
8月13日、何年も苦しんでいた藤浪君が見違える投球をしていたが、チームはやはり0点。

現在は選手の力だけでの得点は叶うまい。
ああ、きっと今日も1点でも取られた時点でタイガースの試合は終わるんだろうな、ピッチャーのモチベーションは大丈夫かな、そう思わずにいられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?