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普段の言葉を使っても良いのだと思わせてくれた人達、の話。

その日、HEY!HEY!NEOと言う音楽番組でのトークにJO1が出ていた時の事です。
リーダーの與那城奨(よなしろ・しょう)君が、メンバー全員で暮らしている宿舎の説明をしていました。

「いっかい(一階)は僕だけで、にかい(二階)、さんかい(三階)に他のメンバーが……」
そこで、川尻蓮君から「さんがい、ね」とさりげない訂正。

私はこの何気ない場面に、とても心を打たれてしまったのです。
それは何故か。

ウチナーヤマトゥグチ

與那城君は私と同じ沖縄の出身です。
実は、ビルやアパートなどの「三階」を標準語では「さんがい」と発音しますが、沖縄では「さんかい」と言います。

ウチナーグチ訛りのヤマトゥグチ(標準的な日本語)の事を、ウチナーヤマトゥグチと呼びます。
きちんとしたウチナーグチを話せるウチナーンチュが少なくなって来た今、多くのウチナーンチュはウチナーヤマトゥグチを話しているのではないでしょうか。

ウチナーヤマトゥグチには、ウチナーグチを日本語風に訳したり日本語発音に変えた単語も含まれています。
「さんかい」も、それなのです。
(実は私、30歳前までこれを標準語だと思い込んでいました)

ウチナーグチは「悪」なのか

ウチナーグチが廃れて行った原因を知るためには、明治時代の『琉球処分(日本による琉球併合)』にまで遡らないといけません。

富国強兵を目指す日本が、軍隊内でのコミュニケーションを円滑にするために定めたのが「標準語」でした。
他の都道府県でももちろん標準語励行運動はありましたが、元々外国であった沖縄ではより苛烈に行われたのです。学校ではウチナーグチを話した者に「方言札」が提げられ、他にウチナーグチを話す者を見つけて押し付けるまでそのままでいなければいけませんでした。

その後、日本社会で「違う言葉」を話す者への差別がはっきりと現れた2つの出来事があります。

1つは関東大震災。
当時日本の占領下にあった朝鮮の人々が虐殺されたのは有名ですが、その際に朝鮮語を母語とする人には発音しにくい言葉を言わせて「日本人か、そうでないか」を判断したのです。
その結果、ウチナーンチュを含め標準語とは違う訛りのある人、吃音のある人なども殺されたと言います。きちんとした標準語を話さないと危険である、と言う恐怖が当時の住民に刷り込まれた事でしょう。

もう1つは、沖縄戦です。
沖縄に駐留する事になった日本軍は「沖縄語を話す人間は間諜(スパイ)であると見なし殺しても良い」との命令を受けていました。そして、実際にスパイ容疑をかけられ殺された人々が続出しました。
日本人にはわからない言葉、すなわちウチナーグチを話される事は日本軍にとって「信用ならない者の証」でしかなかったのです。沖縄で軍隊は住民を守らなかったと語り継がれる理由のひとつが、ウチナーグチに対する差別でした。

戦後、米軍占領下からの「祖国復帰」を目指したウチナーンチュは自らウチナーグチを捨てる事になります。標準語励行運動を復活させ、日本人に同化しようとしたのです。
私の亡くなった父親はまさにその世代で、東京で暮らし差別を受けた経験もあり、私達子供に「沖縄の言葉は汚い」と標準語を叩き込みました。
(幼い頃の私と妹は漫画に出て来るお嬢様のように「◯◯かしら」「◯◯だわ」と話していて周囲から不思議がられていたそうです)

自然に出て来る言葉を、自然に受け入れ合えるなら

冒頭で記した、テレビでのトークに心を打たれた理由はいくつかあります。

與那城君が、全国ネットで放送される番組内で普通にウチナーヤマトゥグチを口にした事。
それをメンバーである川尻君が訂正した時の態度が「いつもの事」のように自然であり、笑いのネタなどにしなかった事。
JO1の中では與那城君がウチナーヤマトゥグチを話すのも、他のメンバーが出身地の言葉を話す事も普通であろうと想像出来た事(JO1メンバーの出身地は幅広く、例えば川尻君は福岡であったり、関西出身者に至っては府県が違えど5人もいます)。

若い人達の感覚は変わって来ているのだろうか、と感じました。
JO1と言う11人の個性の集まりがそうさせている面もあると思いますが、互いの違いを受け入れ合っているのが良くわかりました。

「日本」と言う国家の中でも、まだ残っているだろう差別。それを無くすのは彼らのような人々なのでしょう。

私ももっと普段使っている言葉を出してみよう。SNSではからかわれたりするかも知れないけれど、少しずつ自分の殻を割ろう。
與那城君達を見て、そう思えたのです。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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