ウチナータイムに再び慣れた私と慣れなかった父、の話。

noteのタイムラインに、こんな記事が流れて来て読ませて頂きました。

その感覚わかる!!と思いました。
東京生活を経験して、最近は沖縄の実家に入り浸っている私は、結局ウチナータイムを忘れられない人間だなあと思っていたからです。

沖縄と東京は流れる時間が違う

ウチナータイム、と呼ばれるもの。
「時間を守らない」「怠惰」と悪い意味で使われがちですが、良い意味での「いいかげん(良い加減)」だと私は考えています。

例えば、バスが時刻表通りに来ない。
沖縄では割と良くある事なのですが「まあ、早めに家を出れば良いさーね」「この時間は渋滞に巻き込まれてるはず」と受け入れる人が多いのです。

私が大学に通っていた頃、バスで帰宅している時の事です。
バスが突然バス停のないコンビニの近くで停まり、「すみません、お手洗いに行って来ます!」とのアナウンスと共に運転手さんが飛び出して行きました。そして何事もなかったかのように戻って来て、発車。
文句を言うお客さんは誰もいませんでした。運転手さんも人間ですから、お手洗いが我慢出来ない時もあるでしょう。

これが東京のバスだったら運転手さん停職処分ものだったな……と、後に思い返した出来事もありました。

東京で通院のため始発地点からバスに乗った時の事。
出発が2〜3分くらい遅れたのですが、私は時間に余裕があったので気にしていませんでした。しかし、停まるバス停全てで「このバスは◯分遅れております、申し訳ございません」と言うアナウンスが流れたのです。おまけに走行中もずっと。
そこまで謝り倒さなくても良いだろ、電車ならともかくバスは他の車と一緒に走るんだから事故とかに巻き込まれるかも知れないし。
あの時そう思っていたお客さんは、私だけだったのでしょうか。

ヤマトゥって、やっぱり沖縄とは時間の感覚が違うのかな。
そう思わされた出来事でした。

東京暮らしを経験してウチナータイムを拒否し続けた父親

父も私と同じく東京暮らしの経験がありますが、彼は長く住んでいたせいかそちらの時間が頭に染み付いていたようでした。

とにかくせっかち。
家族で出かけたりする際は「早く準備しないと置いて行くよ!」と言うのが口癖で、私や弟妹を学校などに送ると言いながら1人で出発しようとした事すらあります。

沖縄の路線バスは遅れるからと、絶対に乗ろうとしませんでした。私の知る限り、昨年死去するまでバスに乗ったのを見た事がありません。

ヤマトゥに合わせるための東京時間と、生活の中で馴染んだ(合わせざるを得ない)ウチナータイム。
両方と上手く付き合いながらウチナーンチュは生きているのですが、東京時間に馴染み過ぎた父のような人間もいるのです。

国や地方で違う時間感覚

引用させて頂いた記事の著者の方は、外国暮らしでのんびりした地元の時間に慣れたものの、日本に帰ってからは元通りになったようだと書いていらっしゃいました。

形こそ違うけれど私も同じなんだろうな、と思います。再び東京に戻ったらまた一から慣れなければいけないのでしょう。
でも、父は反対にウチナータイムを捨てて沖縄でも東京時間で暮らしていました。それは彼の「本土至上主義」に基づくものかも知れませんが、そう言う生き方の人間もいたのだと記しておきます。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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