言葉だけで出身地がわかる?、の話。
もう去年の話になりますが、母とタクシーに乗っていた時の事です。私達がお喋りをしていると、運転手さんが母にこう話しかけました。
「姉さん、もしかして佐敷(さしき)か南風原(はえばる)の出身じゃないですか?」
確かに母は南風原出身。
その運転手さんによると、佐敷や南風原の訛りは抜けにくいのですぐわかるそうです。
聞いていて市町村まで特定出来る程の訛りはあまり残っていないとは思うのですが、この時ばかりは驚きました。母自身がそこまで訛っていなかったと思っていたので尚更。
佐敷と南風原の繋がり(?)
これは史実を調べたわけではないので本当の事かはわかりませんが、タクシー運転手さんが話してくれた事です。
琉球、後の沖縄は元々「三山(さんざん)」に分かれていました。北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)の各地を治めていた按司(あじ)はそれぞれで中国に使者を送ったりしていた一方、やはり覇権争いもあったようです。
そんな時に琉球を統一したのが、「佐敷の小按司」と呼ばれていた巴志。首里城に拠点を置き、中山王として中国から「尚」と言う姓を賜り「尚巴志」となります。
第一尚氏の始祖であり、琉球の初代国王です。
尚巴志は出来たばかりの城の周りに城下町のようなものを作ろうと考え、故郷の佐敷から人々を連れて来ました。
現在の南風原町は那覇市の隣であり、地域によっては首里と近い関係にあったと言われています。つまり、ルーツが佐敷にある方々が多いのではないかと言うのです。
当時の首里にあまり人が住んでいなかったと言う事はないと思うのですが、人口を増やすためそう言う政策が行われたと考えれば信憑性はあるのではないかと思います。
そう言えば、スインチュ(首里の人)とナーファンチュ(那覇の人)は明確に区別されているんだよなあ……。
その地域だけでわかる事
「私が子供の頃は、言葉や顔立ちや名字で部落(集落)がわかりよったよー」
これは母が良く言う言葉です。
昔は人々の交流や結婚も集落内で行われていたため、特徴も強く出ていたのだと思います。
父の故郷であり私の生まれた場所でもそうなのですが、南風原は田舎(すみません)だったためその傾向が強かったのでしょう。
ひとつのエピソードを紹介します。
2017年ドラフトで横浜DeNAベイスターズに2位指名された、プロ野球の神里和毅(かみざと・かずき)選手は南風原町出身です。
当然ながら南風原は盛り上がり、母も横浜DeNAの試合をTV観戦するようになりました。
そして母が一言。
「神里って言う名字は南風原だと◯◯(集落名)に多いから、そっちの出身だはずよー。ネットで調べて!」
実家特定するなよ〜、と思いつつ検索をかけてみると……南風原町の公報が引っかかってしまいました。母の言う通りでした。
南風原町役場の皆様、そう言う書類のデータベースはせめて町のホームページからだけアクセス出来るようにしておいてください……。
そして、またもや母が一言。
「やっぱりねー。◯◯には親戚が嫁いでるから、何か知ってるか訊いてみるさー」
だから実家を特定するなってば!
でも、神里選手のお父様は豊見城高校時代に甲子園に出場しており、弟さんも中学時代に野球の日本代表に選ばれ現在はヤマトゥの名門高に通っています。そんな野球一家が目立たないわけがないですよね。
現在は人の行き来も多くなり、外から引っ越して来たりする方々も増えていて必ずしも名字などで出身地がわかるとは限りません。
それでもわかる人にはわかるんだなあ、と実感した出来事でした。
故郷は体に染み込んでいる
私は言葉もそこまで訛っていませんし(放っておくとウチナーヤマトゥグチが出ますが)、外見的にもウチナーンチュらしくはありません。
それに、東京で大学院に通っていた時は、標準語を話さなければと気を張っていました。沖縄出身だとバレると何故か必要以上に干渉されたりつきまとわれたりしたからです。
それでも、沖縄では出身地までわかる方もいるのでしょう。言葉や生活習慣だけでなく、知らないうちに体に染み込んでいるものがあるのでしょうから。
※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。
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