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映画『閉鎖病棟』を観に行った話。

その映画が公開されるのを知ったのは、通っている精神科病院の待合室に貼ってあったポスターででした。原作(帚木蓬生《ははきぎ・ほうせい》さん作)を読んだことがあったので観たいと強く思ったものの、内容があまりに辛いため躊躇う気持ちも大きかったのですが、ついに観に行けました。

映画のストーリー

脚の不自由な老人「ヒデさん」こと秀丸は、とある秘密を抱え精神病院の閉鎖病棟で静かに暮らしていた。
その彼と親しくしている「チュウさん」こと中也は、統合失調症で幻聴が主な症状だが街に買い物へ行けるほど回復しつつある。
2人のいる病棟に連れてこられたのが、高校生の由紀。情緒不安定で誰にも心を開こうとしない由紀だが、秀丸や中也と接することで少しずつ変わっていく。
それぞれの抱えた事情、家族との葛藤に悩みながら、束の間の安らぎを楽しむ3人。
しかし、秀丸が他の患者を殺害する事件が起きる。その動機はあまりにも哀しく優しいものだった。

あなたは彼ら彼女らを責めますか

映画の冒頭、中也が買い物をした後の和菓子屋で店主と客がこんな会話をします。

「あんな狂った人を自由にして良いの」
「最近は頭のおかしい人でも、人権人権ってうるさいからね」

おそらく中也は長く入院しており、和菓子屋でも馴染みの客なのでしょう。
それなのに店主は陰で差別をしている。
また、終盤で中也が退院したいと言った時、かつて彼が起こした発作に怯えている実妹はこう叫びます。

「兄さんのように狂った人間が外に出るなんて」

親しくもない人間ならまだしも、家族にすら見捨てられる。それが精神病患者の宿命なのでしょうか。中也は、どんな罪を犯したと言うのでしょうか。統合失調症は100人に1人は罹患する病であるのに、です。

由紀もそうです。彼女が精神的に不安定になったのは、義父からの性的虐待が原因でした。母はそれを知りながら娘を守ろうとせず、逆に病院へ入院させ厄介払いさせようとします。

「社会的入院」という言葉をご存知でしょうか。病が良くなり地域社会へ戻ろうとしても受け入れ先がなく、入院し続けざるを得ないことです。
家族が同居を拒む、一人暮らしを助けようとしない。グループホームなどを作ろうという試みがあっても、周辺住民が拒否する。
由紀の置かれた状態は、それに似ているのではないでしょうか。

そして、秀丸の過去は悲惨なものです。

「わしは世間におったらあかん人間なんや」

その一言が、全てを表しています。彼は存在してはいけない人間とされており、それ故に病院で起こした事件の裁判も難航してしまいます。

他人事とは思えない、思わない

そもそも精神病患者が主な登場人物であるこの映画に興味を持たない人も多いでしょうし、原作を読んだとしてもピンと来なかった人もいるでしょう。

しかし、この映画のストーリーは決して他人事ではないと私は思います。誰にとっても、です。
鬱病や双極性障害、統合失調症などの精神(正しくは脳)の病は誰がいつ罹ってもおかしくないものでしょう。自分には関係ない、と言い切れる人の方がおかしいのではないでしょうか。

誰もがスティグマを背負う可能性があるのです。中也のように、由紀のように、そして秀丸のように。
それはパニック障害などで精神科に通う私も同じだと思っています。
その事実を受け入れられた時、私達はサブタイトルにある「それぞれの朝」を迎えられるのでしょう。

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