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悪女とは何か『鎌倉殿の13人』から考える、話。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には、悪女と呼ばれている女性達が登場しています。
小池栄子さん演じる、北条政子。
宮沢りえさん演じる、りく(牧の方)。
特に政子は日本三大悪女と呼ばれているそうですが、ドラマを見ていても私には「悪女」とは思えないのです。

そもそも「悪女」達はどんな女性だったのか

政子の場合

政子は「権力を握った女性」でした。それは史実だと思います。
鎌倉幕府を開き、武士の世の始まりを作った夫・源頼朝。彼が亡くなった後、跡を継いだ頼家や実朝と言う息子達の後見として政治に関わり「尼将軍」と呼ばれました。
弟の義時や時房・甥の泰時の存在も大きかったでしょうが、彼女が政治家として政権を支え続けた事は間違いありません。

りくの場合

りくは「北条家を繁栄させようとした女性」として『鎌倉殿の13人』には描かれています。
北条時政の妻として夫や息子や婿にはっぱをかける場面が目立つのですが、それは全て一族を案じての事。
政子達に京での振る舞いを特訓するのも、殿上人と対面する際に堂々としていられるため。木曽義仲が京で田舎者と馬鹿にされる描写があったからこそ、りくが未来を見据えているとわかるのです。

彼女達は何故「悪女」と呼ばれたのか

政子も、りくも、彼女達なりに身内を愛し守り栄える事を望みました。その望み自体は悪いものではないはずです。
では、なぜ政子やりくは「悪女」と伝えられたのか。特に政子は何故、日本三大悪女に数えられたのか。

江戸時代以降との価値観の違い

『鎌倉殿の13人』の脚本を書いた三谷幸喜さんは、当時まだ日本に儒教が伝わっていなかった事を指摘しています。
歳上を敬い歳下を守り、女は男を影で立てて支える。儒教の教えをざっくり言うとこんな感じになるでしょうか。そのため女が権力を握るなどもってのほか!と後の世では考えられたに違いありません。

日本の家父長制に合わない女性像

それに加え、明治以降の日本では家父長制が法律で定められる事となったのも無視出来ません。憲法すら変わった現在でも、その影響は大きいと私は考えています。
家父長制における女性は、参政権も無く財産の所有も禁じられていました。父親、夫、息子などの身近な男性に従う事しか出来なかったのです。政治が男だけのものだったのは言うまでもないでしょう。
その世界観から政子達のような女性像を見た時、男性がどう感じるか。自己主張をし、政治に関わり、夫の妾の存在に怒る。理解の範疇を超えていたと思います。

男性の目から見た「悪女」は、現代の女性を惹き付ける

気が強くて冷酷で嫉妬深く恐ろしい女。それが男性中心社会によって政子やりくに植え付けられた「悪女」のイメージでした。
しかし、現代の男性脚本家である三谷さんは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で新しい政子やりくをえがいています。
政子は恋する乙女であり、夫を支え時には叱咤する妻であり、子供達を愛する母。そして「御台所みだいどころ」に相応しくあろうと努力し、頼朝亡き後は息子達や御家人を助けようとする政治家でもありました。
りくは時政を愛し、子供やその配偶者には時に優しく時に厳しく接して北条家を盛り立てようとする「御方様おかたさま」でした。十三人の合議制に入る事となった時政と共に、一族の生き残りをかけたパワーゲームに関わったのです。

彼女達の生き様は、現代の女性達にも共感出来るところがないでしょうか?
政子が頼朝の浮気に怒る姿や、自らを高めようと恋敵こいがたきにすら教えを乞う姿。
りくが男性達に啖呵を切る姿や、時政と甘いひと時を過ごす時の姿。
政子も、りくも、教科書や文献の中だけに存在しているわけではありません。激動の時代を、1人の人間として生きていたのです。
「悪女」と言う記号的な見方は、後世の人々が勝手に決めたものなのですから。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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