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琉装もこんな風になれば良いのに、の話。

noteでこんな記事を読みました。

「日本のすばらしい文化を日常の延長線上に復活させたい」着物を再構築するkeniamarilia
(STORES.jp)
https://note.com/stores_jp/n/ne654a75e33f6

keniamariliaというブランドでは、和服を日常的に着られる洋服にリメイクして販売しているそうなのです。
これはすごい、と思うと同時に、似た試みが琉装でも行われている事を重ね合わせました。

琉服展に行って来た

26日、沖縄タイムスビルで行われていた『琉服展』を観に行って来ました。
和裁などを教える学校の展示で、こじんまりとしたイベントでしたが、そこには和服を琉装にリメイクした物も販売されていたのです。

琉球絣、久米島絣、大島紬、さらに振袖などに使われている生地。
どれも本物で、しかも絹だと打掛だけで何十万という値段……。さすがに買えませんでした。それでも沖縄で生まれた数々の染め織物が、ヤマトゥの和服ではなく本来の琉装に生まれ変わるのが素晴らしいと思いました。

琉装とは

琉装と言うのは、文字通り昔の琉球王国時代から着られていた伝統的な服の事です。
農民などは和服にも似た長いものをウシンチー(中に結んだ紐に服を引っ掛けるような形)で着ていました。恐らく地味な色柄が多かったのだと思います。
士族や王族になると、ウッチャキ(打掛)とドゥジン(袴)を組み合わせた上下になります。琉服展で展示されていたり販売されていたりした物もそうで、白いドゥジンと様々な色柄のウッチャキを着ます。

沖縄にはたくさんの染め物や織物が存在します。
代表的なものは紅型(びんがた)、琉球絣、芭蕉布でしょうか。他には首里花織、読谷山(ゆんたんざ)花織、南風原(はえばる)花織、久米島絣、……本当に数え切れないくらいです。
特に紅型は特別で、黄色など王族にしか着る事の許されない色があったり、水色は葬儀などの時に着るという文化に基づいた染め方があります。

そんな染め織物も、近年は和服に仕立てられるために絹などの高級素材で作られるようになり、庶民には手の届かない物になってしまっています。そして、琉装も伝統芸能を学ぶ人々などしか着ない物になってしまいました。

私と琉装の関わり

実は、私は琉装や織物との関わりが少しですがあります。
母親が南風原町出身なのですが、祖母や曽祖母が琉球絣や南風原花織を織っていました。特に祖父方の曽祖母は13歳から60年程も織り手をしていて、技術もとても高かったそうなのです。
祖父母が古い家に住んでいた時、機織り小屋に機織り機がありました。母によると、花織の模様を織るために複雑な操作が出来る仕組みになっていたとか。引っ越しで全て処分されてしまったのが悔やまれます。

そして、私は大学の卒業式に琉装をしました。レンタルなので本物の紅型ではなかったのですが、青地の着物に白い打掛という気に入ったものを身につけられて満足しましたし良い思い出です。
琉装はとても楽なんですよ。写真撮影などで着崩れしないようにして貰ったのですが、動いても苦しくなかったですし、帯を体の前で締めるので椅子にもたれかかってうたた寝も出来ます(早起きで眠かったので……少しだけ寝てました……)。

冠婚葬祭の行事で振袖や留袖を着るのは沖縄でも当たり前になっていますが、本来日本と沖縄では気候も生活方式も違っていたはずです。沖縄に合うのは琉装ではないでしょうか。
私も成人記念の写真撮影で振袖を着ましたが、紐やら帯やら何本もぐるぐる巻かれて苦しいわ、当時ショートカットだった髪をいきなり上げられて付け毛を装着されるわ(和服にはアップヘアという決まりでもあるんですかね)、眼鏡は取られて何も見えないわで二度と着たくないと感じました。

もっと気軽に琉装を

受け継がれて来た文化を再び身近なものにするためにも、琉装がもっと気軽に着られるようになれば良いと私は思っています。
琉装の着付けを習える(今は和服の着付けのついでに教えるところが多いようです)場所や、木綿などで安く手に入る着物が増えると距離が近くなりそうです。

冒頭で紹介した記事や、琉服展での試みのような動きが広まれば、琉装がもっととっつきやすくなるはずです。
私もせめて琉装の着付けくらいは出来るようになりたいのですが、教えてくれる人も周りにいませんし講座などもなかなか見つかりません。まずは情報収集からですね。


※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。

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