理想の人間関係を哲学する3(散文的思考の寄せ書き)
僕の一端の結論読みたかったら最後の2行までジャンプしていいよー
理想の人間関係は理想の人間になろうとする人々が集って成る。
拡大し地球から溢れんばかりに増えていく人類からは個性をもった人々が集まり国家が形成される。
それは、大きさにより、家族、村、町、都会、国家、といくつものコロニーが集まってできる。無数のリーダーが居てるだろう。
この地球の120年前には今生きている人々は誰も居なかった。私たちは新しい命としてこの地上に産まれている。
歴史を学び、続きを生きている。
あなたは次世代に何かを残しただろうか?
あなたはどんなバトンが渡されただろうか?
現代においても、今日、明日を生きるのが精一杯人々で世の中は溢れている。
しかし、古代のリーダーや戦国時代の日本よりかは遥かに豊かになったのでは無いだろうか?
飢える事は少なくなったように思う。
人類は楽になりたくて様々な道具を作ったのだ。
楽に戦争に勝ちたくて水爆を作った。
楽にミサイルを当てたくてGPSを作った。
楽に集落を制圧したくて銃を作った。
理想の人間関係とは?
違いを認め他人を殺めない関係ではないだろうか?
もっと踏み込んで溢れる資源を分かち合い、知識を分かち合い、人類の抱えてる問題に踏み込んで解決していく、そんな事が可能なのだろうか?
赦せるのか?領土を、国境とはなんなのだ、増えていく人に対して領土は決まっているのか?
欲望は人間関係にどんな影響を及ぼすのか?
理想となる人が違えば理想の人間関係は変わるのだろうか?
変わるのだろう。
混沌なのだ。混沌が進化を進めるのだ。
見た目が違えば理想の人間関係は築けないのだろうか?
肌が黒いから人間ではないのか?
目が一つしかないから人間ではないのか?
人間と容姿は関係ないのか?
ゴリラが手話を覚え、私たちと意思の疎通が出来ても、手を切り落として灰皿にしていいのか?
見た目は関係ないと私は思う。
人が人たらしめるのは理性が備わっているかどうかだ。
師として振る舞い、弟子を育て、弟子が師を超えていくような振る舞いをする関係が、理想の人間関係ではないだろうか?
悟空とベジータのような。
互いに研鑚を積み上げ高みに登っていくような。
(敵と書いて「(友)とも」と呼ぶような)
(女は?)
(疲れた時に変わらずに微笑んでいて欲しいという男のエゴ)
未完
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