どんなときも、僕が僕らしくあるために。

自分が極限まで落ち込むと、文化物を摂取したくなる。
今日は、気持ちが沈んでいる自分にも寄り添ってくれる、文化物の一つを紹介しようか。

「どんなときも」by松岡茉優

率直なことをお伝えすると、槇原敬之及び松岡茉優の特別ファンということではない。
ただ、松岡茉優さん自体の存在には一目置いていて、意思がしっかりしていて本が好きで、おそらく私と似たタイプなのではないかとは思っている。(烏滸がましいかもしれないけれど)
本曜日のYouTubeを拝見したが、幼少期より読書を通じて様々な人の考えを理解してきた、自分も他者も相対化して考えられる人なんだろうなと思う。

そんな人が歌う「どんなときも」。

ゆるやかなハミングから始まり、「僕の背中は自分が思うより正直かい?」と問いかけているが、その問いをしていること自体、大層自信なさげである。事実、自分でその軸を固められないのだろう。言葉がたどたどしい。

それでも、時間の力か、生きる力を回復していき、最初のサビでは「どんなときもどんなときも、僕が僕らしくあるために、好きなものは好きと言える気持ち抱きしめたい」と少し滑らかに言えるようになっていく。
まだ迷っている部分もあるけれど、それすらも肯定して、人生を突き進もうとする。

すると、楽しくなる。
自分一人で、舞い上がれるようになる。
踊れる。アイデアが浮かぶ。昔の恋人の道具を捨てられる。楽しめる。

「そしていつか、誰かを愛し、その人を守れる強さを、自分の強さに変えていけるように」軽やかに歌うメロディは、強い覚悟と同義のようで。
彼女なりの揺るぎない哲学が出来たみたいだ。

最終的に、「どんなときも、どんなときも、迷い探し続ける日々が答えになること、僕は知ってるから」、と楽しそうに歌う。まるで、他人は誰も介入するな、と言わんばかりに、自分だけの世界でとても楽しそうにはしゃいでいる。

そもそも「どんなときも」は30年以上も前の歌だ。このMVも5年以上前のものだ。

それでも、孤独に喘いでどうしようもない時、軽やかに生きているMV上の彼女を見て、泣きそうになるのは私だけではないだろう。


独りで夜を過ごせない、そんなあなたに。
ぜひ、聞いてみてください。

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