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ずっと自分のことを責めながら閉じこもっていたかった。

「バカとハサミは使いよう」という表現があるが、
「自責思考」こそ、使いようによって毒にも薬にもなると思う。

自責思考。
文字通り、何かあった時に「自分を責める」思考。

過去記事を呼んでくださった方は薄々気づいているかもしれないが、私は「自責思考の権化」である。
何か上手くいかなかった時、基本的に自分が悪かったんだろうなあと思うし
人から素っ気ない態度を取られた時は、大抵私が何かしてて嫌われたのかなあと思う。

先日も、超絶仲の良い上司にBBQお誘いLINEをしたのだが、一向に返信が来なかったため、耐えきれず
「私だる絡みしすぎて嫌われたかもしれない…」と後輩に相談した。
後輩には即座に一蹴された。

自責思考自体は、悪いものではない。
むしろ、自分を成長させるためには欠かせない思考のはずだ。
何でもかんでも自分のことは棚に上げ他者のせいにしている人と、自分の至らないところと向き合い改善していこうとする人とだと、明らかに後者の方が良い人生を送れるだろう。
実際、私はそういう文脈で、自分の偏った思考に感謝している節はある。

ただし、自分を追い込みすぎると、己を傷つけるナイフとなる。

試しに、「自責思考」で調べてみると、「自責思考 うつ」とか「自責思考 やめたい」とか、ネガティブワードが山ほど出てきた。
自分で自分を追い込んで、逃げ道を封じてしまう思考。
それが自責思考。

自分で自分を慰める術を持っていれば話は別なのだろうけど。
私にとっての「創作物」とか。


あと、個人的に感じている、自責思考のデメリットがもう1つある。

思考が止まることだ。

どんな事象が起こっても、全て「私が悪いんですごめんなさい」と言って、自分の世界に閉じこもることができるのだ。
それで話を、終えることができる。

楽なんだよね。
他の人を疎まなくて済むし。
やり切れない気持ちを抱えなくて済むし。
人に期待をしなくて、済む。

あとは、他者からの追求から逃れられるという側面もありそうだ。
人間、反省している人に追い打ちをかけるような真似はしづらい。
それを逆手にとっているような感覚。


でも。
それじゃあ、本質的な解決まで行き着かない。
自分だけではどうにもならないことも多々あるし、自分の限界値を超えると何もかもおじゃんになる。

3か月前くらい、中高時代の旧友に悩み相談をしたことがあり、
その時に言われたことが痛烈に刺さった。

悩みの解決策として、「私がどうにか頑張ればいいって話なんだけどね」といつもの自責思考を発揮したところ
「それは持続性がない」とハッキリ言われてしまった。
「持続性がないことは、しない方がいい」と。
それはLINEでの文字面でのやり取りだったが、まるで対面で、まっすぐこちらの目を見て言っているかのような迫力があった。

自分だけで、できないことは、しない。
できないことを、解決策に、するな。

自分で頑張ろうと思って、頑張ってやっぱり上手くいかなくて、ああやっぱり私がいけないんだよね、となるのは、それはそれで楽なんだけど
ただ、逃げているだけなんだと思う。
目を逸らして、殻の中で閉じこもって、自分の世界で楽しんでいるだけ。


だから。
目を逸らさずに。
傷つくことを恐れずに。

責任の所在を明らかにしていくべきなのだろう。

今の未熟な私でどこまで実践できるかは分からないけれど、猛烈にそう思う。

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