幸せになろうとしないなんて卑怯だ

声を高らかにして言いたいことがある。
いや、声を高らかにしないと言えない、勇気を出さないと言いづらいことがある。

私は「物語シリーズ」が好きだ。

本シリーズをご存知ない皆様からは、何をそんなに勿体ぶって告白してるんだと思うかもしれない。
私だって、本シリーズが至って清らかで潔白なアニメ(本)だったらそんなことしなかったよ。

ちなみに私と物語シリーズとの出会いは15歳だが、ワクワクしながらPCでアニメ動画を開き、10秒見て、早々に画面を閉じた。
いたいけな中学生女子が、開始10秒でパンチラ描写を見て良い訳あるか?いや無い。
魅せられるはずもない。

閑話休題。
胸を張って言いづらいが、私は「物語シリーズ」の大ファンである。
何故ならば、物語シリーズの主義主張は、私の青春に大きすぎる影響を与えてきたからである。

誇張でもなく、私は物語シリーズから多くを学んできた。
そうだな。おそらく1つの巻(化物語上など)でゆうに3時間は語れるくらい、私はこの物語で考察を語れるし、思い入れが深い。

当時、つまり中高生時代であるが、言い換えると生きづらさ絶好調みたいな時代だった。
好きな人に好かれない、全てが空回りする、この世を恨んでも恨みきらない、という、青春を謳歌しているどころか憎悪しているという、何とも目も当てられない状況だった。

そんな中で私を救ってくれたのは、物語シリーズの著者、西尾維新だった。

物語シリーズの最大テーマは「青春」である。
もっと言うと、「それぞれの登場人物が、どう自分の弱さに向き合い成長していくか」を綴った物語である。

だから、各物語のそこら中に、この世と、そして自分と、どう対峙すれば良いか?ヒントがある。

阿良良木くんの「我慢しなきゃいけないのが、そもそもおかしいんだよ。痛い時は痛いでいいんだ」とか

羽川さんの「私は本物じゃなくって、人物でありたい。美しくなくっていい。白くなんてなくっていい。私はあなた達と一緒に、汚れたい。」とか

忍野メメの「正しさなんて、最初からない。あるのは正しさじゃなくて都合だ」とか

物語シリーズは名言の宝庫だと思っているが、その宝を数珠繋ぎのようにして命綱にして、そこにぶら下がりながら青春を乗り越えていた。

感謝してもしきれない。本当に。

折角なので、1つ名言を深堀りしましょうか。

「不幸でい続けることは怠慢だし、幸せになろうとしないことは卑怯だよ」

アニメモンスターシーズンで絶賛活躍中の、斧乃木余接ちゃんの名言ですね。
各所で絶賛活躍中の、YOASOBI「UNDEAD」にも同じようなフレーズがありますね。

不幸に甘んじて  満足するなよ
幸せになろうとしないなんて卑怯だ

どういう文脈での話かというと、不幸であることを免罪符にしている人っているよね、というところから切り出されたものである。

私、こんなに不幸なんです。
私、大変なんです。
だから、優しくされるべきでしょう?

でも、不幸から抜け出す努力をしない、というのは、即ち「何も努力をしていない」ということなのだ。
慣性の法則のように、ブレーキをかけずに流されるまま不幸一直線に進んでいくことを、「頑張る」とは言えない。

だから、皆ハッピーエンドを目指すべきだ、と。


でもね。
不幸から抜け出したくない人の気持ちも痛いほど分かるのよ。
だって、自分が「被害者」になれるものね。

悪いのは世間で、会社で、周囲の人で、自分はそこに巻き込まれた善良でか弱い子羊なんです、と。
そう言ってブルブル震えてた方が、楽だもんね。

分かるよ。

でも、私はその感情に寄り添ってあげられる一方、そんな生き方は惨めだよとも言いたい。


自分の世界に閉じこもって、見たいものだけ見てたって、誰も助けてくれはしないのよ。
王子様が救い出してハッピーエンドとか、ならないのよ。
そんな生き方に甘んじて、自分の人生切り拓けずにいたら、掴み取れるはずだった幸せも全部取りこぼしてしまうんじゃないの?


不幸を盾にするな。
抗え。


戒めも兼ねて、最後はこの言葉で締めくくりましょうか。

被害者面が気に食わねえっつってんだよ、お嬢ちゃん

忍野メメの名言でした。

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