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転換期

 昔、担任をしたクラスで生徒たちから卒業式の日に貰ったコーヒーカップを、12月に入った頃、割ってしまった。

 もらった当時なら、とっくに定年の歳なのだし、今年度はいろいろあって、何となく、象徴的な意味があるような、そんな不思議な気分になってしまった。

 これをもらったのは、いつの学年団だっただろう。教諭になって一校目は何をもらったっけ。黒いマグカップを女子サッカーのメンバーからもらったのを覚えている。

 二校目は7年いたので、三年持ち上がりで2クールできるはずだったが、途中で病気で降板し、最後の年に已む無く三年の担任をしたが、逆に良いクラスに当たって、とても良かった。写真と写真立て、各人からのメッセージをもらった。他にもプレゼントがあった。

 担任は卒業式の呼名や式場の引率など、間抜けなことは許されず、そういう場が苦手だったこともあり、ものすごく緊張したので、私は完全にハイテンションになっていた。
 
 生徒たちは私に感涙にむせんで欲しかったようだったが、泣くどころの騒ぎではなかった❗️私もサプライズで何か準備していたし。

 このカップは、ずいぶん長く使って、どこだったかで、同じ絵柄の急須を見つけたので、コーヒーカップだけど、お茶も淹れた。
 
 初めて担任をした学年なら、もう27年ぐらい経っているし、次の高校の最後の担任だったら、21年ぐらい経っている。

 いつかさよならをする、それは、別に当たり前のことだ。私はその場では、あまり感傷的にはならない。なぜかはわからない。

 どちらかと言うと、過ぎ去ってから、あの角から、知っている生徒がパッと現れるのではないか、と幻影を見て、ショックを受けるほうだ。
 
 たぶん、別れの当日は、無意識のうちに、記憶を写真のようにとどめておこうとして、その肝心な場では、何の感情も起こらず、ただ意識がカメラになってしまっているのだろう。

 ……毎日何も思わず見ていたカップだったが、割れていろいろなことを考えさせられた。

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