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はまれること

 先週は、久しぶりにゲームにドはまりしてめちゃくちゃ楽しい一週間を過ごした。このドはまりへの警戒と、ドはまりしないように取り組んでみた結果はnoteに書いたのでここでは繰り返さないけども。

 めちゃくちゃわかりやすくドはまりした後の、今の私の状態を書くと、なんかぽっかり穴が開いてるというか、はまったものは終わってしまって、さて次どうしようかな?という感じがしている。やりたい!!!と思ったことは終わったけど、じゃあ次どうしたらいいんだろう? みたいな感じ。
 思い返すと、ドはまりがやってくる前はこの感じがわりと普通だったような、そんな気もする。……いや、ちゃんと思い返せばnoteを書こう!と決めてからはnoteを書くのがやりたいことになったから、ここまでぽっかり穴が開いた感じではなかったかな。何をしたいかの1つはnoteで埋まってた。
 だから、何となくやりたいがよくわからないなぁ、と思っていたのはnoteを書き始める前の、1月の中旬ぐらいまで。やりたいことがないわけではなくて、小説を読みたいとかゲームをしたいとか、部屋を片付けたいとか、単純にやりたいことなら出てくる。ただ、今日帰ってやりたいことは何?となるとよくわからなかった。

 noteを書きはいじめてみて、ゆるーく時間は埋まったし、この、何やりたいんだ?を考えて、noteに書いてみるのも面白いなぁとは思う。それでも、なんだか今やりたいこと、はいまだによくわからなくて、まだぼんやり取り組みながら、おぼつかない感じで、その時のあっやりたいかも!をつなぎ合わせて生活していた。ハンバーガー食べたり、ネコのカフェに行ったりね。
 それが、今回ドはまりするような、めっちゃやりたい!!!となったことを一週間ぐらいやってみたあとだと、めちゃくちゃ覚束ない、やりたいかも、をつなぎ合わせてたんだなってびっくりした。逆に言えばどうしても逃れられない吸引力のあることにドはまりするの、楽でもあるんだな。

 もしかしたら、どうしようもなく一週間はまれてたのって、ある意味楽だったのでは? どうにか時間を捻出してでもやりたいことがはっきりとあるって、やりたいことなんだろう?の悩みからは解放されてたのでは???
 そう考えてみると、ドはまりの利点がまた1つ見つかったな……。精神的に潤うに加えて、実はやりたいことなんだ?って考えてるしんどさ、マイナスがなくなるっていう効果がでかいのか。マイナスからプラスになるんだったら、なおのことドはまりすごい効果ね。少しでも意識してはまれるようになったら強そう。

 まぁドはまり、自分でコントロールしてできるわけでもないんだけど。ひとまず読みたい・遊びたいけど、はまったらえらいことになるかもしれん…って避けてることはやめてみてもいいのかもしれない。その避けたものがドはまりするかはわからないんだけど、やりたいのにリスクを考えて辞めてるの、思った以上につかれるしうんざりしてるっぽいので。

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