夢中で過ごす時間のなかで。
意味なんてない。
役に立つかもわからない。
ただ、ひたすらに
おもしろそうなことに、
全力で向き合う。
夢中で過ごす時間が、
わたしの〝ゆたかさ” 。
★
小学生のころ。
ランドセルを部屋において、おやつをたべて。夜ごはんまでの時間を過ごすのが好きでした。
絵本をよんだり、物語を観たり、寝ちゃったり。
ときには、家の庭で、おだんご作っていました。
土でつくる、いわゆる、泥だんご。
たぶん、好きだったんだと思います。
泥だんごつくるの。
一度でも作ったことがある人になら伝わると思うのだけど。泥だんごをサラサラの砂で磨いて、つやっつやにしてました。
鉛筆の芯みたいにつやっつやに。
何かに使えるわけでもなく、とっておくわけでもない。だから、次の日には雨で崩れてしまうかもしれないのに。ううん、自分でも忘れてしまうこともあったと思うのに。
それはもう、真剣につくってました。その時間がなぜか、とっても記憶にのこっています。
★
ふと、そんなことを思い出したのは、なんであんなことをしていたんだろうと思っていたから。
そして、何か意味がないと、動いていなかった自分も一緒に思い出してたから。ほんの少し前までの自分を。
楽しい気持ちになったり、うれしい気持ちになったりしていたのに。それだけじゃ物足りなくて。+αの何かを求めてしまっていたような。
ある程度、こういう結果になるだろうとかの勝算をのぞんでいるような。次に繋がるような何かを求めるような。
結果を望んだり、これからを考えたりすることは、悪いことじゃないのだけど。
だからこそ、羨ましかったのかもしれない。小学生のころに感じていた夢中な時間が。
意味なんてない。
役に立つかもわからない。
ただ、ひらすらに。
おもしろそうなことに、全力で向き合う。
そんなあの時の自分の〝ゆたかさ” に。
★
いつまでも小学生のままじゃいられないけど、
いつまでももっていたい気持ちはある。
何年も経ってしまって、望むことが増えたように思う。というよりも、小学生のときの当たり前だったことを、自分の手でたぐりよせている…のかな。
小学生のときにあった当たり前は、たくさんの人のおかげだった。のんきに泥だんごを作っていられたのは、そのおかげでもあったのだけど。それでもさ、やっぱり夢中な時間を少しでもつくりたいな。
おいしいものも食べたい。
好きなものにも囲まれていたい。
人とも関わっていたい。
ゆっくりも眠りたいし、
お洗濯やお料理も楽しみたい。
たくさんのやってみたいがある自分が
これから過ごす毎日のなかで、どれだけ夢中になれる時間があるかな。
1日のなかで、ほんのすこしでも、
ただただ夢中になれる時間を今の自分で過ごせたら。
それはもう〝ゆたかさ” なんだろうな。
いつも読んでくださり、ありがとうございます♡