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夢中で過ごす時間のなかで。


意味なんてない。
役に立つかもわからない。


ただ、ひたすらに
おもしろそうなことに、
全力で向き合う。


夢中で過ごす時間が、
わたしの〝ゆたかさ” 。



小学生のころ。
ランドセルを部屋において、おやつをたべて。夜ごはんまでの時間を過ごすのが好きでした。


絵本をよんだり、物語を観たり、寝ちゃったり。
ときには、家の庭で、おだんご作っていました。


土でつくる、いわゆる、泥だんご。
たぶん、好きだったんだと思います。
泥だんごつくるの。


一度でも作ったことがある人になら伝わると思うのだけど。泥だんごをサラサラの砂で磨いて、つやっつやにしてました。
鉛筆の芯みたいにつやっつやに。


何かに使えるわけでもなく、とっておくわけでもない。だから、次の日には雨で崩れてしまうかもしれないのに。ううん、自分でも忘れてしまうこともあったと思うのに。


それはもう、真剣につくってました。その時間がなぜか、とっても記憶にのこっています。



ふと、そんなことを思い出したのは、なんであんなことをしていたんだろうと思っていたから。


そして、何か意味がないと、動いていなかった自分も一緒に思い出してたから。ほんの少し前までの自分を。


楽しい気持ちになったり、うれしい気持ちになったりしていたのに。それだけじゃ物足りなくて。+αの何かを求めてしまっていたような。


ある程度、こういう結果になるだろうとかの勝算をのぞんでいるような。次に繋がるような何かを求めるような。


結果を望んだり、これからを考えたりすることは、悪いことじゃないのだけど。
だからこそ、羨ましかったのかもしれない。小学生のころに感じていた夢中な時間が。


意味なんてない。
役に立つかもわからない。
ただ、ひらすらに。
おもしろそうなことに、全力で向き合う。
そんなあの時の自分の〝ゆたかさ” に。



いつまでも小学生のままじゃいられないけど、
いつまでももっていたい気持ちはある。


何年も経ってしまって、望むことが増えたように思う。というよりも、小学生のときの当たり前だったことを、自分の手でたぐりよせている…のかな。


小学生のときにあった当たり前は、たくさんの人のおかげだった。のんきに泥だんごを作っていられたのは、そのおかげでもあったのだけど。それでもさ、やっぱり夢中な時間を少しでもつくりたいな。


おいしいものも食べたい。
好きなものにも囲まれていたい。
人とも関わっていたい。


ゆっくりも眠りたいし、
お洗濯やお料理も楽しみたい。


たくさんのやってみたいがある自分が
これから過ごす毎日のなかで、どれだけ夢中になれる時間があるかな。


1日のなかで、ほんのすこしでも、
ただただ夢中になれる時間を今の自分で過ごせたら。
それはもう〝ゆたかさ” なんだろうな。


いつも読んでくださり、ありがとうございます♡