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色々つながってきた…(内観の途中経過)

これまでの生き方はずっと間違えてた?!

小さい頃から何を頑張っても褒めてもらったことがなくて、怒られてばかり。結果、自己肯定感も低く、こんな私が生きててすみません…っていう意味のわからない、でも強烈に植え付けられてしまっていた罪悪感とともに長いことずっと生きてきた。
もっともっと頑張らないと私は幸せになっちゃいけないんだ…って思い込んで、以前下記の記事に書いたように無闇矢鱈に頑張っていた。。

何度も動けなくなるほど体調を崩したし、両親が亡くなって愛犬も旅立って、いい加減くたびれ果てた末、やっと完全に会社で働くことを辞める決意をし、引きこもり、じっくり腰を据えて自分と向き合い始めた。
そして、
「今までの私の生き方は何かがずっと間違えていたのかも…?」
と疑問を持つようになった。

時間はたっぷりあったので、自己啓発からスピリチュアル系に至る色んな本やら動画やらを観まくって、約7〜8年の間、ほとんど人とも会わず、ひたすら自己と対峙して内観に励んできた。
そして直近のこの1〜2年の間で色々と気づきがあった。

最初の気付き

まず、毎年クリぼっちなのはデフォルトなのだが、おととしのクリスマスは教会のミサに参加してみようかな…と思い立った。ただ寒さに負けて(笑)、YouTubeで教会のミサを観ながら過ごしていた。

上記の記事にも書いた通り、中高がプロテスタントの女子校だったので、毎朝の礼拝、月1の全校礼拝、クリスマスやイースターの特別礼拝、そして高校からは聖書の授業もあり、キリスト教の環境にゆるく身は置いていたけれど、とにかくその時は聖書自体も授業も大嫌いで、全く何も頭に入っていなかった。。
そこから30年近い年月が経ち、動画でクリスマスイブのミサを観ながら、改めて少し聖書に興味を持った。そこで英語の勉強にも良いかなと思って日英が1冊になっている聖書をAmazonで買ってはみたものの、また創世記の序盤で挫折したままではある…。

ただ、去年の秋にNYCのセント・パトリック大聖堂を訪ねた時に、その美しく守られた空間にものすごくホッとした感覚があって、どうにも涙が溢れ出た。かなり長い時間、一般向けに開放された誰でも座っていいベンチに座らせてもらい、そのオープンマインドかつ神聖な空間を堪能した。

正面の祭壇の裏側も一般に見ることができるため行ってみると、ちょうど祭壇の真裏に位置するガラスの扉の向こうに、とても美しいマリア像の部屋があった。そのガラス扉を開けて、誰でも普通に中に入ることができたので、しばらくそこに座って、マリア様と会話するようにその空間に再び浸った。
そちらの部屋の方が本当に気持ちが癒されて感動したので、私はキリストよりマリア崇敬かもしれない…(幼稚園がカトリックだったせいもある…たぶん)。

まあ、それは置いておいて、、

で、10代の頃から腑に落ちないまま別に特に興味も無かったから放置していたのが、
「なぜキリストは磔にされたのか?」問題だった。
つい先日(この記事の下書きが4/6だったから本当につい最近の話)、ふとその疑問を思い出してGoogle先生に聞いてみたら、

「キリストはユダヤ教を批判したため、支配者であるローマ帝国への反逆者として磔刑に処されて…」

と出てきた。

しかしその対象がなぜキリストだったのか、なんか言いがかりをつけられたままっぽくない? と思って、それでなぜ多くの人々がそんなに長い間ずっとキリストを崇拝し続けてきたのかがわからなかった。

で、ふと思ったのは、
ひょっとしたらキリストが十字架を背負って下さったのは、我々(後世の人々含む全て)の罪を前もって背負って下さったのかもしれない…?!ということだった。

そして、再び検索してみたら、どうやらそういう解釈で良さそうだ…と思える記事があった。

やはりそうだったのか…とようやく答え合わせできた気がする。
なぜその役目をキリストが背負わなくてはならなかったのか?…に関してはまだモヤるけど、、まあ、そこはまたいつかの機会に調べてみよう。。


受け取り拒否は思い上がりなのではないか…?

でも、経緯がどうあれ、もしキリストがあんな残虐的な刑を背負ってまでも前もって人間の罪を背負ってくれたのなら、「こんな私が生きててすみません…」という私のこの謎の小さすぎる思い上がりの罪悪感を感じること自体、失礼極まりない気がしてきた。
せっかくのキリストの命がけの想いを無視して、完全に無駄にしてしまっているのではないか?それは非常に烏滸がましいことなのではないか?と思えてきた。

これまで人の好意に対して裏を勘繰ったり、素直になりきれず(日本人特有の謙虚さと極端な遠慮が勝っていたのも大きいかもしれない…)、「大丈夫です、結構です」と受け取ることを拒否してきた。これはキリストに対してだけじゃなく、全ての人間関係においてそうだったと思う。
優しくされたい、愛されたいと強く思っているのに、いざ人からそういう態度を差し出されると、怖くなって受け取れないという矛盾した状況。

そこにふと気付いた途端、私はようやく10代の頃から感じ続けてきた「私なんかが生きててすみません」の罪悪感をスッと手放すことができた…。
これで全部とはいえないものの、かなり大きな部分を占めていた内側にずっと鎮座していたずっしり重たいものから解放されて、気持ちがだいぶ軽くなった。急に楽になった。。

まだまだ出てくる…

しかし、「罪悪感」からはほぼ解放されたものの、まだ問題は残る。
よく自己啓発やスピ系の話で出てくる、願望実現、引き寄せ、自己統合、エゴや執着を手放す、自分でなんとかしようと頑張らない、頭で考えず直感に従う…などというのがまだ今ひとつコツが掴めないでいた。

「ありがとう」の力の矛先

「ありがとうノート」というものを知り、早速赤いノートを買ってチャレンジしてみた。
ノートの裏表紙に願いごとを1つ書いて、あとはひたすら「ありがとう」と書いていく。
ところが、何に対しての「ありがとう」なのかがわからず、書くことで気持ちが上向きになる…ということは私には起こらなかった。
というより、本当に叶えたいことがまだはっきりしていなかっただけかもしれない。

1日1000回ありがとうを唱える、気持ちがこもってなくてもいいからとにかく唱える…みたいなのもあったけど、ノートと同様やはり気持ちが入らないものは続かない。

「夢ノート」なども同様だった。
今考えると、これらにチャレンジしていた時は、まだ自分の本当の本心までまったく辿りついてなかった。願いがまだ「他人からこんな風に見られたい、思われたい…」というところから離れられてない。他人からどう思われるかは関係ない、自分がどうしたいかが一番大切なのだが、そのコアなところまでまだ行き着いてない状態。
だから、こういう系のワークをやってみても何も現実が変わらない。

そこで、コアな部分にたどり着くにはまず、邪魔になっている高く厚く積まれた壁やブロックを取り除くことからしないとダメかもしれない…と思うようになった。
やりたいことを探す前に、やりたくないことをやらないと決めることからやってみることにした。ここはきっちりと揺らがないように決意しないと、元の木阿弥になる。


邪魔なブロックを取り除く難しさ

「辛い思いがあってこそ幸せが感じられるのだから頑張らなければ…。」
この長年染みついたマインドセットを完全に手放すのはそう簡単じゃない。辛い思いをしなくても幸せになっていい…なんてこれまでの人生で誰からも教わったことがなかったから。そんな都合の良い話ある訳ないじゃん!って思い込んでしまっている。(ただ、辛い思いをしなくていい=努力しなくていい、って意味ではないので、そこも誤解しないようにしたい。)
そう、単なる思い込みなのに、そこから抜け出せない。それに1つ1つそうした思い込みを解除してもすぐに状況が変わる訳じゃないから、時折焦りが頭をもたげて、「あ、この勉強した方がいいかな…。あ、アウトプットもしなきゃ…。」などなど、アウトプットはそもそも私に足りないところだからやってみて良かった部分もあるけど、気付くとまた「〜しなければならない」になってる!と気付く。その都度立ち止まって反省する日々だ。
そのまま突っ走って頑張ってしまうと、また本心が見えなくなってしまう。
これは大変でも自分のさじ加減で日々気をつけながら軌道修正していくしかない。他人に相談しない方が良いと思う。この揺らぎ期間に人に相談すると、また軸がブレてしまいかねない。

まあ、そんな日々が続いて、ようやく私が本当にやりたかったのはこういうことなのでは…?!というのがうっすら見え始めてきた。
かと言ってそこから全てがスムーズに動き出すという訳でもないのだが、ひとまず思いついたらやってみることに決めた。


意味は後からでいい、とりあえずやってみる

そして、何になるか、何の意味があるのかまったくわからないけど、とにかく小さい頃から憧れていた写経にフォーカスしてやってみることにした。
(小学生の頃、書道教室で年上のお姉さんが書いていた紺紙金泥写経がかっこよくて憧れていたが、私はやらせてもらうチャンスがなく、また母にも「写経なんて(縁起でもないから)やめなさい」と止められていた。)

とりあえず、しばらくは書学院に通っていた頃にもやっていた般若心経の写経を始め、それからもう少し短いのはないかな?と探して出会った「百字偈」の写経をやっていた。

百字偈
アメリカ人の友人にプレゼントした万年筆インクで書いた般若心経。
普通は写経には落款は押さないけど、これはちょっと例外。笑

昨年秋に初めて京都音博に行った時、翌日の帰りの新幹線の時間まで少し近くを観光しようと思い、初めて東本願寺を訪ねた。
そこで初めて阿弥陀如来さまと親鸞聖人(像)に出会った。そして親鸞聖人が浄土真宗をはじめた方というのもここで初めて知った。

京都 東本願寺

両親の葬儀の時に、葬儀屋さんが紹介してくれたお坊さんが浄土真宗の方だった。父の時も母の時もお経の後のお話(説法)が良い話で、浄土真宗ってすごい懐の深い優しい教えなんだなぁ…っていう印象があったので、浄土真宗で読まれているものを知りたいと思った。
そして知ったのが親鸞聖人の書いた「正信偈」だ。

まだつい最近の話だが、通販で写経用紙を見つけたので、買って書き始めてみた(「正信偈」はお経ではないので、正確には写経とは言わないようだが…)。

こちらはおさらい用紙で、裏の印刷が透けて見えるのをなぞって書いていく練習。
2枚に渡るので、般若心経よりも長いです。

それに伴い、せっかくなので意味も知りたいと思い始めた。
YouTubeで講義のシリーズ動画が上がっていたので観ながら勉強もし始めた(まだ完走してないが…)。

実はこの京都東本願寺を訪ねた時、下記の記事に書いたように、阿弥陀さまと親鸞聖人と色んなお話をした…というか相談をした。

「写経を私のやり方で美しく装飾して「作品」にしてみたい…と思っているのですが、そんな風に手を加えてしまって良いものなのでしょうか?」と尋ねると、親鸞聖人は「どんどんやっていいよ」とおっしゃってくださった(ように感じた)。阿弥陀さまからも温かいエネルギーを感じて、反対はされてないように感じた。
まあ、これは思い込みと言われたらそれまでなんだけど、私的には勝手に背中を押してもらった気になって(笑)、やってみることにしたのだ。帰り際に親鸞聖人に「迷ったらまたおいで…」と言われたような気もしたので、またそのうち会いに行きたいと思っている。

そこで感じた阿弥陀さまの"母なる"感。
ただ、阿弥陀如来は性別を超えた存在だけに母なる感だけではない。
阿弥陀さま自らが四十八願を叶えるために大変長きに渡る修行を積んでくださって、特に本願(第十八願)のおかげで、我々は念仏するだけで浄土往生できるとなっているのだが、
私はこれを知った時、万人を助けたい深い慈悲の心はキリストに似ている気がするが、同時に全てを温かく包み込んでくれるような"母なる"感は、マリア像の前で感じたそれに似ていて、その両方を持ち合わせたのが阿弥陀如来なのかもしれない…とふと感じた。(←超個人的な感覚だし、まだ知って日が浅いので間違えてるかもしれないし、どこかに怒られそうだが…💧)

そこで話がだいぶ戻るが、阿弥陀さまが我々凡夫のために、何度も食い下がって自ら大変な修行を重ね、無理難題の願いを叶えてくださったおかげで、我々は辛い修行をしなくても生きられるようになった…。ならば、阿弥陀さまを信じて、とにかく感謝の気持ちを持って念仏し、幸せを受け取っていいのではないか、他力に委ねて良いし、その意味においての他力本願は怠けではない、と思えてきた。

そうすると、上記に書いた「ありがとうノート」や「ありがとう1日1000回」みたいなアファメーションを唱える矛先は、私の場合なら阿弥陀さまを想定すれば良いのではないか?と腑に落ちたし、「苦労しなければ幸せにはなれない」という深く根付いた思い込みからもスッとスムーズに解放されたのだ。

…ふぅ。。

ここまでの話は全て私はそう思うことで腑に落ちたというだけなので、人それぞれ色んな対象や考え方で自分が納得できるものを探すしかないと思うけれど。。
自分が腹落ちしない限り、事は何も変わらないと思うので、他人のやり方は参考までに…というか、参考にもならないかもしれない。。

密かな決意表明

日本はクリスマスも正月も祝えば、ハロウィンもお彼岸もある。また、お寺と教会が一体化したような内装の築地本願寺にも見られるように、そのクロスオーバーが許されるある意味特殊な国だ。
私自身もどこか1つに傾倒するのではなく、色々な教えに目を向け、自分にとって最も腑に落ちて、助けられた教えだけを体内に取り込んで行きたい人だ。そうした良いとこどりがおそらく日本なら許される。だから私は日本に生まれたのかもしれない…とさえ思った。
ちょっと宗教的建築物の中に入るのは気が引ける…と思ってしまう人も気軽に足を運べるような、クロスオーバーで、優しく美しい包容力ある空間を小さくても良いから作って行きたいな、と今密かに考えている。。

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