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見えない存在との会話

小さい頃、母の実家近くで祖母と母と3人で散歩や買い物に出かけると、通り道にあった近所のお稲荷様に手を合わせに行くのが私は好きで、通る度に必ず駆け寄って行って自然にやっていた。
そして、ウチは父方も母方も祖父母が私が割と小さい頃に次々と亡くなっているので、幼い頃から仏様に手を合わせたりするのも自然に身についていた気がする。

両親が亡くなった今も、毎朝母方の祖父母と両親と歴代わんこのお位牌や写真に向かって毎朝・夕、お線香をあげ、手を合わせて何かしら会話している。

まあ、ここまでは普通のことかもしれないが、、

両親が亡くなって、むしろ生前よりもよく会話するようになってから、近年は同じ要領で他の見えない存在とも会話することが自然になった。
神社に行っても祀られている像を前にあれこれ会話するようになったし、現世の人でもすごく波長の合う人は実際会えてなくてもなんとなく会話できる(気がする)。むしろ現世とそれ以外の境界が曖昧に感じるくらいだ。
(こういうのって母が霊が見えてしまうタイプの人間だったのも多少関係しているんだろうか…?)

もしかしたら、チャネリングとかテレパシーとかってこういうことなのかもしれない…?とか思うが、私の場合は自分に縁のある人か波長のすごく合う人としか会話できないし、それで良い。
現実世界でも人と関わるのにかなりエネルギーを要するタイプなのに、見えない存在とも不特定多数が介在するようになったら、エネルギーの消耗がハンパないと思うから。

ただの妄想なのでは…?とも思ったりするけど、私の乏しい想像力では決して出てこないような言葉やキャラクターが出てきたりするので、やはり妄想とはちょっと違う気がする。

先日京都で東本願寺を訪ねた時、阿弥陀如来さまの前でしばらくお話した時には、なにか柔らかい口調で慈悲深い感じで語りかけられた気がしたんだけど、親鸞さまの像と対話してる時は、なんかチャキチャキの威勢の良いおじいちゃんとお話してるみたいな感じで、ちょっと意外だったし、元気をもらえる感じだった。いや、実際はどんな方だったのか全くわからないので、全然そんなタイプじゃなかったかもしれないけど…笑。
親鸞さまにお会いするのは初めてだったけど、そんなオープンな(?)キャラクターの親鸞さまを前についいろいろなお話や相談をしてしまい、すごく勇気づけていただき、背中を押され、帰り際には「またおいで」と言ってもらえたような感覚も受けた。

現世で波長の合う強いエネルギー(?)を感じる人とは、眠る寸前や起きたばかりの微睡み状態の時にふとスイッチが入る感覚があって会話が始まる事が多いのだが、やはり実際に会って話したら、そんな会話には絶対にならんだろう…というような会話を交わしている。笑
たとえその話を現世の本人に言ったところで完全否定されるに違い無いので、決して言わないけども。。笑
だから真偽を確かめようも無いけど、まあ、私は楽しいからそれで良い。笑
良くアーティストがものづくりをする時に、「降りてきた」みたいな言い方をするけど、あの感覚にも少し近いかもしれなくて、だからそこにホントかウソかみたいな定義付けをする必要もないというか。

あと、海外滞在中とかに、言葉が満足に通じないところで会話を試みると、相手が何を言おうとしているのかあらゆる感覚と想像力を総動員してなんとか理解しようとする。そしてなぜかなんとなく会話が成立してしまったりする。
…その感覚にもとても近いと思う。

たぶん動物や植物などと会話する人達も似たような感覚じゃないかな…と思うし、
タロットやオラクルカードと対話するスタイルのカードリーダーさん達もそうかもしれない。
また、クラシック音楽を演奏する方々の中にも同じような感覚で作曲家と対話している方達が結構いらっしゃると思う。

その感覚でいうと、別にこういうのって特別な能力とか"スピリチュアル"みたいに胡散臭く思う必要もなく、多かれ少なかれみんなやってることなんじゃないかな…と思っている。
特に日本人は繊細で心の機微を読み取る力に長けてるから、注意を向けるだけで普通に誰でもできることなんじゃないかなと。

そうすると目に見える見えないに関わらず色々な存在とコミュニケーションが取れるようになるので、一見ひとりぼっちでも寂しさをあまり感じなくなったりする…それが良いのか悪いのかわからないけど…。笑


まあそうは言っても、やはり三次元での温もりと触れ合うのは何にも変えがたいパワーがあると思う。
海外で信頼できる人と一瞬ハグするだけで、ものすごいエネルギー回復できるのは経験上知っている。

日本にはハグの文化がないのでその感覚があまり浸透してないのが残念だけど、私はアメリカ留学中に立ち直れないような失敗をした時も、逆に成功した時も、仲間や先生のハグで急速にHP回復、または高揚感の共有をできた実感があって、そのパワーは何にも代え難いなと思っていた。言葉以上に伝わる何かがある気がしている。

「手当て」という言葉があるみたいに、三次元でこそ感じられるその温もりとパワーみたいのは、やはり現世で生きていく中で必要なんじゃないかな…と思う。(←私には多いに欠乏しているが…。笑)

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