本を読め。人に会え。言葉を聞け。
自分の考えが1番正しいと思っている人がいます。
口では『自分は大した人間ではない。自分の考えが1番とは思っていない。』
と言うけど本心は全く逆という人。
それが私の夫です。
私はその言葉をずっと鵜呑みにしていました。
この人はなんて謙虚な人なんだろう。
人を敬う心を持っている。
人の言葉を聞くことも共感することも人を諭すこともできる人。
こんな人と出会えたことはとても有難いこと。
そう思っていました。
それから私は歳を重ね、自分でやりたいことができ、とにかくそれを広めたいと思うようになりました。
人に会ってやりたいことをアピールしよう。
と、色々な分野の方に会いに行きました。
啓発本、心理系の本、小説。
たくさんの本も読み心理学の勉強もしました。
50歳に差し掛かる頃、私の中でモヤモヤとしたもの、違和感を感じる瞬間が増えていきました。
それは必ず、夫とのやり取りのときに感じます。
夫の話を聞いていても
『この人は何を言っているのだろう?』
と思うことが増えてきたのです。
夫との会話はいつもネガティブなものばかりです。
最初は笑い話であっても気がつくと会話に出てくる人物や事柄に対しての攻撃的な言葉ばかりが出てくるようになるのです。
例えば、その日に出会った人の話をしたとしましょう。
その人の私の抱いた印象は
『仕事もバリバリ熟す。交友関係も大切にしている。人付き合いがとても上手。たくさんの知識を持っていてその人とお話する時間はとても有意義な時間』
というものでした。
夫は最初
『そーゆー人いるね。笑』
から始まり
『そーゆー人ってこーゆーときあーゆーことするよねー笑。』
と、そこからその人を行動分析をし始めます。
そして最後は
『そんな交友関係の広い奴は結局上辺でしか人を見てなくて知識をひけらかして自分の思うように生きてきた人。友達が多いことがステイタス。俺は気に入らない』
と、ひとりで怒りのような感情をあらわにしヒートアップするのです。
これは今思えば昔から夫の会話のパターンでもありました。
でも、昔は大して気にならなかった。
それが最近、心がとてもザワザワするようになったのです。
その方向へ会話が進むと私は言葉が出なくなり、頭が真っ白になるのです。
なんだろう、このザワザワ。
この違和感。
そしてある日いつも通りこのパターンで会話がすすんだときでした。
『それは違う』
と思うことがあり、その言葉がそのまま私の口から発せられていたのです。
『私はそうは思わない。なんでそういいうこと言うの?こうじゃないの?私はこんな風に思うよ。』
そのとき夫は一瞬ピタリと動きがとまりましたがすぐに
『これは俺の主観であって。いいんじゃない?あなたがそう思えばそれで。』
と言い返してきたのです。
主観?
あなたは自分の主観を話しているのなら私も私の主観を話していいってこと?
そう思った私はそこから自分の思うことを話すようになったのです。
会話の質が変わった瞬間でした。
『あなたはそう思うんだね。私はこう思うよ。』
ということを話すようになるうちに、夫に対しての違和感が沸々と高まっていったのがわかりました。
数字で表すとすると、
過去は10対0で夫の意見に同意していました。
そのうち8対2、7対3、6対4、5対5・・・
そんな感じで夫の主観を否定し始めたのです。
そして、4対6。
夫の主観に対して、納得できないことのほうが増えてきたのです。
そのなかでも夫の主観を全否定はせずそんな意見もあるんだなと受け止めるようにはしていましたが、私の中では夫の意見は自分とは真逆な位置にいることを悟ってしまっていたので、素直に自分のなかに落とし込めることができなくなっていました。
そして結果的に、私は返す言葉がなくなり会話が続かなくなっていったのです。
そして夫からは
『あなたは俺の言う事を聞かない。なんでも反発する』
と言われることになるのです。
反発。
私の主観は反発なのだろうか?
あなたの言葉は主観であって、私の言葉は主観ではないのか?
わからなくなりました。
わからなくなったから夫と話をすることが苦しくなってきたのです。
それから夫との会話はグン減り、全く会話をしなくなったのです。
そして、夫に言われました。
『男脳と女脳は違う。あなたと俺は違う。脳が違うから最初から合うわけがない。だからあなたとの話はいつまで経っても答えが出ない。なのであなたと話をしても意味がない。』
唖然としました。
決して私から攻撃的に話をしたことはありません。
それはどういうこと?
なぜそうなるの?
なぜそう思うの?
わからないから教えてほしい。
そう聞いてきただけです。
私が出会った人のことを
『知識をひけらかして自分の思うように生きてきて友達が多いことがステイタス』
そう思うのはなぜ?
と聞いただけです。
それを男脳と女脳でピシャリと終わりにさせられました。
男脳と女脳の違いはわかります。
でもそれだけではないことを私は知っています。
学んだから。
この夫は『男脳』と『女脳』という単語のふわっとしたイメージだけで安々と会話に持ち出してきました。
この夫、馬鹿だな
そのときの正直な私のきもちです。
夫が言うように、お話にならないわ。
でも夫がいう『お話にならない』とは違う。
馬鹿すぎてお話にならないのです。
ではなぜ私がこう思うようになったのでしょうか。
昔は夫との会話に違和感など一切かんじていなかったのに。
たくさん考えました。
そして思い知ったのです。
昔の私は無知だったことを。
夫の会話パターンは昔から何ら変わりません。
私が変わってしまったのです。
過去の私は無知で世間知らずでただただ思いの儘暴走するだけの人間でした。
何度も何度も失敗をし、泣き喚き、ジタバタするだけの人間でした。
そのときの私と、夫の波長がぴったりあってしまったのです。
人に合わせようとしているようで実は自分たちが1番正しいと思い込み、そぐわない人や事柄を批判し、排除する。
私は夫とともにそうやって生きてきてしまったのです。
それが居心地が良かったのです。
夫の意見(主観)が正しいと信じて疑わなかったのです。
でも今私は、たくさんの方にお会いし、こんな考えもあるのだ、あんな考えもあるのだ、なんて新鮮なんだ!
本を読み、胸が締め付けられる内容に涙したこともありました!
私の価値観が覆されることがたくさんありました!
本から心に留めて置きたい言葉を手帳に書き留める作業が増えました!
その年月を過ごすうちにいつしか、同じことを思い同じことに苛立ちを感じ一緒に暴走していた夫の手を離しひとりで走り出す私になっていったのです。
夫の手を離した私は夫を置き去りにし、どんどん先に走り出していました。
夫に対しての違和感は、これだったのです。
もう同じベクトルにはいないから違和感を感じるようになったのですね。
そう。
今ならこの違和感の正体がわかります。
一切、本を読まない夫。
理由は
『本なんかから得る言葉には惑わされない』
人に会ってその言葉から得るものは無いのかと問うと
『結局は自分の言葉が1番。決めるのは自分』
そう言い切る夫。
だから私は夫に言いたい。
『本を読め。人に会え。そして言葉を聞け。』
『学べ!!!』
まぁ、その気があったとしても自分を振り返り客観的に自分を見ようとしなければ、本を読もうが人に会おうが言葉を聞こうが、なんにも得るものはないのですが。
ずっとそこにいればいい。
私はあんたを置いていく。
私は『学び』が楽しくてならないから。
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