雪国

国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。

あまりにも有名なこの一文から物語が始まる、川端康成の長編小説「雪国」。日本人の心の精髄がすぐれた感受性をもって表現され、雪国で精一杯生きる女の美しさが描かれています。

あらすじはこちらによくまとまっていますので、割愛します。


「雪国」を読んでいくつか気になった点について考察してみました。

犠牲や刑罰

火事が起きた繭倉から焼き出された葉子を抱き抱える駒子を見て、「駒子は自分の犠牲や刑罰を抱いているかのように見えた」というシーンについて、なぜ葉子が駒子にとっての「犠牲や刑罰」となるのか、について考察してみました。

パターンA. 葉子が駒子にとっての重荷になるとした場合

まず「犠牲」の意味を辞書で確認します。犠牲とは、一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること。雪国の駒子における「一層重要な目的」とは、駒子の清潔さや純粋さ、美しさを保つことだと思います。小説の中では、駒子に対してくどいくらいに清潔さや純粋さという表現が使われています。また、駒子の純粋さは、徒労であると感じる島村の虚しさがあるからこそより際立ったものになっています。

頭から徒労だと叩きつけると、なにか反って彼女の存在が純粋に感じられるのであった。(P.40)
駒子に会ったら、頭から徒労だと叩きつけてやろうと考えると、またしても島村にはなにか反って彼女の存在が純粋に感じられて来るのであった。(P59)
島村には虚しい徒労とも思われる、遠い憧憬とも哀れまれる、駒子の生き方が、彼女自身への価値で、凛と撥の音に溢れ出るのであろう。(P.70)
駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている裸の肌のように触れて来もするのだった。(P.124)

つまり犠牲とは、駒子の純粋さを保ち続けるために、「これから重荷になる葉子を世話していく = 徒労の日々を送っていく運命から駒子は逃れられない」のだと解釈できます。

苦労のコントラストによって、駒子の純粋さがより引き立つのだと思います。

刑罰についても、葉子と駈落ちの話になった際の刑罰の使われ方からヒントを得ると、駒子の純粋さと呼応する表現であることが分かります。

そう言って、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。為体の知れない娘と駈落ちのように帰ってしまうことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思われた。またなにかしら刑罰のようであった。(P133)

パターンB.葉子が駒子にとって重荷以上の意味があるとした場合

パターンAの解釈だと葉子を登場させる意義が薄くなってしまうと感じました。そこで、葉子が駒子にとって重荷以上の意味があると仮定した場合の考察も必要だと思います。こちらは考えを整理してから書きたいと思います。


登場人物

島村

主人公。東京で妻と暮らしている。無為徒食の生活を送る。西洋舞踊の紹介を執筆している。

駒子

温泉街に住む芸者。純粋で清潔な女。踊り三味線の師匠の弟子。師匠の息子である行男の治療費を稼ぐ。行男のいいなずけと噂されているが本人は否定している。

葉子

悲しいほど美しい声を持つ女。行男の恋人?

行男

踊り三味線の師匠の息子。東京で勤労学生だったが、腸結核のため帰郷し、そのまま亡くなる。

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