箱根駅伝を走る関東学生連合チームの成り立ち
こんばんは、ライター修行中のAikaです。
昨日は國學院のエース、平林選手のインタビューについて取り上げました。
↓昨日のブログ↓
今日も合宿で頑張っている様子がインスタグラム で上がっていたので、ぜひ見てくださいね。
さて、今日はあちこちで関東学生連合チームについての話題が上がっておりました。
関東学生連合チームの存続問題から、関東学連そのものの話題にまで発展し、混迷を極めています。
陸上経験のない自分にとって、関東学連がらみの話については無責任にあーだこーだ言えません。
ただ、関東学生連合チームは存続して欲しいという気持ちが強くあります。
なので、関東学生連合チームの成り立ちについて、今日は少し語ってみたいと思います。
元々は、第79会大会でより多くの大学が参加できる方策の一つとして考え出された「関東学連選抜チーム」が始まりです。
当時は今と同じオープン参加で順位のつかない形でした。
第83回〜89回大会までは順位のつく形で10位以内に入ればシード校が1つ減り、予選会の枠が1つ増えるというシステムでした。
90回以降は再びオープン参加となり、チーム順位、個人順位ともにつかないオープン参加に戻っています。
実際に84回、85回では10位以内に入り、予選会の枠が1つ増えたこともあり、学生連合の存在感が大きくなってきました。
しかし、シードの数に影響するとやはり色々あったのでしょうか。
再びオープン参加に戻っています。
オープン参加となるのは仕方ないかなと思いますが、区間記録は残しても良いのではないか、と思ってしまう自分もいますね。
川内優輝さんは学習院大学時代に学生連合チームに選ばれ、区間6位相当の成績を残し、市民ランナーからプロランナーになったことでも有名ですね。
我らが國學院も学生連合チームで出走している選手が何人かおり、それが今のような箱根駅伝常連校化につながったのではないかと思います。
こういった背景を見ると、関東学生連合チーム自体はより一層無くして欲しくないな、と思ってしまいます。
毎年が難しくとも、なんとかして存続できないものでしょうか・・・。
今日はこの辺で。明日も頑張ります!
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