ライターだからってつらつら投稿しなくなった理由

少し前に書いた、ちょっと痛いところもある文章ですが、今の自分のホンネでもあるので、投稿することにしました。


少し暑い5月でも、出勤するとかいう概念はなく、パソコンに向かってひたすら文章を書くなり読むなり…それがライター。

(今や新型ウイルスの影響で、出勤しないことは珍しくなくなったけれども)

運動不足にしかならないので最近は意図的に散歩に出かける。

といっても歩くのは家の周辺だけ。必要物資の買い出しをしに行ってるだけ。

(今や新型ウイルスの影響でそれが当たり前)

リアルな日常は、絵にもならない今日この頃。


人によっては”ライター”と聞くと、

「めっちゃブログ書いてる人!」

「Facebook投稿いっぱいする人!」

という認識になるらしい。

そんなことあったっけ。昔はあったかも。

過去のFacebook漁ったら色々出てきました。今思えば黒歴史。

ライター名乗り始めたら、過去の文章なんて大体黒歴史。

その時は「これが良い!」と思って出してるんだろうけど、後から見れば粗が目立つ目立つ…。

特にFacebookの文章は黒歴史すぎる。

あー、痛いこと言っちゃってるなー、世間知らず感満載だなー、と。

過去の自分と今、出会ったら間違いなく嫌いなタイプだと確信。


文章は建築

で、なぜその発信とやらを今はしないのか?

自分にとって、文章は作品だというのは今も昔も変わらない。

ただ、今はキレイなもの、良いものを作りたい。

荒削りでもなんでも自分のリアルを伝えて誰かの役に立てたい、という思いは今は無い。

ライティングは建築と近いと思ってる。

設計図を作って基礎から骨組みから組み上げて、最後に装飾していく。

そして見直してメンテナンスする。

経年劣化したらリフォームしたり建て直したりする。


だから思いつきでパッと書いてみるというのが今の私にはできない。

思いつきで家を建てるなんてあり得ないから。

結果的に、思いつきで書くFacebookなどの投稿は減っていった。

絵にならない自分の日常を言葉にすることに魅力を感じなくなった。


そもそも思いつきで書いている文章って”発信”なんて言葉を使えば良い響きになるけれども、実際は他人にとって読む価値もない”つぶやき”でしかない。

ブログは自己顕示欲の塊、というけれども本当にその通り。

(それはこのnoteも同じだけれども)


私が書きたいのはそんな文章ではない。

良質な素材を使って組み上げた文章が書きたい。

あるいは良質な素材を秘めた文章にテコ入れしてリフォームしたい。

それが、今の自分の願望。


…そうは言っても、実際には自分の書いた文章がそこまで他人にとって価値があると思うほうが傲慢。

だから、最低限興味を持つ人が何人かはいるであろう文章にしたいと思った。


ライターだとか、書くことを仕事にしている人で、SNSの更新はあまりしない人というのはいる。

そういう人たちってきっとこう思っているのでは?という意見でした。

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