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心の実況中継できるかな?

心の奥底できしむ氷の塊。

日々、生きてる中で常に言葉に出したい!
想いが雪になって降ってくる。

嬉しい・楽しい・喜び。などの感情とは別に、
にどうしても心の中で消化出来ないものや
上手く言葉に表せなかった事柄が積もり積もって
固い氷の塊となって心の底に残っている。
ずっとその塊が「私を温めて溶かして…」
って言ってる気がする。

こういう感覚って今まで本を読むことが苦手で
避けてきたからボキャブラリーがなく
しっくりくる言葉が浮かばないからなのかな?  
いやいや。子供の頃に本を読むのが好きではなかった
自分を責める気は全くない。           

人間関係もコミュニケーションも手先も不器用。
でもそんな自分を責める気もさらさらない。 

人に伝えなくても良いから
自分で今感じた感覚を言葉にして
心の中で表現できたらなぁ…。

いうなら心の実況中継。

よくドラマの主人公が心の声を
ナレーションのようにしているのを観ていて
「実際の現実でそんなに頭の回転を早くして
自分を客観的に実況中継できる人いるのか? 
いや、いないだろ!」ってずっとフィクションの
世界での事だと思ってた。   

でも最近、出来そうな気がしてきた。         日々の流れから生まれる出来事、
そこに淡々と自分の感情を心の中を言葉にして
受け取ることが出来たら、
きっと今、自分に残ってる氷の塊は残ることはないかもしれないなぁ…なんて思ったり。

とにかく楽しく取り入れてみようかと。
自分を俯瞰してみる練習にもなる。

書きたいことや書かないでいたこと。
言いたい事や言えないでいた事。

生きることは当たり前にできてるけど、
話す事や書く(描く)事は上手くいかずに
表現できずもどかしいことが山ほどある。

まだ奥底で閉じこもってる氷の塊を見つけて
救い出して温かい言葉で溶かしてあげたい。
それと同時に今、自分が感じてる事を隠さずに
素直に表現したい。

この数年、自分を見つめる時間を大事にし始めてから
やっと少しずつ本を読む楽しさを知ってきた。   
そこから得る気づきを忘れないように文章に書き出す事を始めたら、自然としっくりくる言葉に少しずつ出会えるようになってきた。

私はは色んな出来事をネガティブな感情として
受け取るのが得意なタイプで自分に厳しく、
周りが見えなくなり、自らを責めることばかり。
だから相手に対してもつい、厳しいジャッジが働き
好き嫌いが激しい思い込みから接している。
そんな私の頭の中の世界。
そこから心の氷が育っていく。

今までのそういった思考から
斜め目線の言葉を言ってしまって
相手を不快にさせてしまう恐れや不安があった。
どれが言って良い言葉で、どれが言ってはいけない
言葉なのか瞬時に判断できない。
だから思ってる事を直ぐに言葉にするのを
躊躇するようにしていたんだ。
だから人との会話がモヤモヤしたりするんだ。
書きながら気づいていく。

こうやって書きながら気づきを得られると思って
楽しく練習してみよう。

私はADHD(注意力欠陥)とASD(自閉症スペクトラム)の傾向が若干見られます。
5年前に心療内科で検査し、診断はされなかったけれどその傾向に近いギリギリの得点だという事でした。

それも原因の一つかもしれないが、
それだけが原因ではない。

この生きづらさをどうにもできないまま
冷凍保存してきた過去をこうやって
心の実況中継とアウトプットする。 
そうやってその氷の塊と少しずつ向き合いたい。   

だからnoteでの投稿を始めようと思えた。      過去を見つめるのは時間の無駄と思う人もいるかもしれないけど私はそうしたい。

心の中の絡まった紐を解く。
固まった氷を溶かす。

本をたくさん読んでる人が上だとは思いたくない。
たくさん読んでなくてもこうやって自分なりの
少ないボキャブラリーで書くことが出来てるから。

言葉を発信して思うことは、絵・文章・音楽という表現はそれを生み出した自分というフィルターで自分が当てた光の角度によって現れたもの。         
それを見たり聞いたりした人が自分と同じ角度とフィルターで感じ取れるわけではない。
発信者と受け取り側が一致するとは決めつけられない。

一つの言葉・絵・音から十人十色の感じ方がある。
それは素晴らしい事でもあり仕方がないことなんだと
そこを理解しながら自分に正直に素直に楽しく向き合ってこれからも書いていきます。





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