これを書いたのは実はもう1ヶ月以上も前。梅雨に入るより前の5月の話。
だから、この何日か前、というのは結構前の話になる。


何日か前、今年初の猛暑日です、というニュースを見た。ここ数年で季節の移り変わりがぐっと変わった気がするけど、私は断トツで夏が好きだ。
朝から蝉が鳴き、仕事に行こうと外に出ると既に暑い。日中のほとんどを戸外で過ごす私は真っ黒に日焼けする。
日焼け防止のために、羽織りものを羽織るなんてもってのほか、そこに熱がこもり、熱中症を早めてしまう。
そのくらい崖っぷちで昼間を過ごす。
毎日滝のように汗をかき、真っ黒になって、それでも楽しいし面白い。帰り道もまだ明るく、まだ暑い。
家に帰ると24時間365日エアコン稼働中の部屋は涼しい。

ほんの気持ちだけ夏毛になった猫たちが、出迎えてくれる。
屋内から一歩も出ない彼らも夏を感じるようで、家の中のあちこちで長くなっている。

私が思う夏には必ず小学生時代の夏休みがある。
冷房はあるけれど、つけるのは来客があった時という時代。
ミンミン蝉が鳴く中、夏休みの私たちはプールに向かう。
ラジオ体操を済ませ、涼しいうちに宿題を済ませた計画的な私は、いわゆる暇なのだ。
ろくにテレビも映らない、あっても平日の昼間のテレビは小学生の私にとってはくだらないもの。
持ってる漫画は何回も何回も読み尽くした。
家にはそれ以外の娯楽はない。

水着を着て、名札代わりのかまぼこ板を持って、プールの始まる9時に集合する。
歩いてたった5分。
湾の目の前にある大小2つのプール。
大プールだって、25mに3コースしかない。
小プールは小学生の膝までの深さしかない。
それでも、娯楽のない地域の子どもたちの唯一の楽しみだった。学校の友だちのほとんどはそこにいた。
体育の授業とは違い、ルールが少ない。
自由な気がした。
授業では禁止されている飛び込みをしたり、休憩時間までプカプカ浮いたり、皆自由に過ごした。
浮き輪を浮かべて、そこにお尻からスポっと飛び込めた人の勝ち!なんて遊びを午前中いっぱいしてたこともあった。
水中じゃんけん、潜る時間競争、一人メドレー、伏し浮き大会、ぐるぐるでんぐり返し。
プールで出来ることは何でも試した。
水面はキラキラ光り、耳に水が入るとプールサイドに寝転がって水を抜く。
寝転がったプールサイドから見たプールは浅く緑に見える。
ちょっと遠くに目を向けると海が広がっていて、当たり前だけど、海はプールより広くてキラキラしている。
船の出入りがある湾での遊泳は禁止されていて、船の仕組みを知っている私たちは、湾で泳ぐことの怖さを知っている。
でも知ったのはもう少し後の話。
プールの帰りに海に飛び込んで、怒られたことも、もちろんある。

外から帰ってくると、家の中は薄暗く感じる。
冷房は入っていないのに、ひんやりする。
基本窓は開けっ放しの田舎なので、涼しい。
お昼に帰ってきた祖母に出くわしたり、家で勉強していた姉とごはんを食べたりしていた。 

午後からはゆらゆら陽炎が立ち昇る中、誰かの家に集合したり、またプールに行ったり、山に行って秘密基地を作ったり、
毎日余念がなかった。

アスファルトから立ち昇る陽炎を見ると、今でもあの子ども時代に戻る気がする。

あの小さな田舎の小さな地域が私の全部だった。
家族と友だちと近所の人。
すれ違う人は皆知ってる人で、その人の家族構成や、親戚まで知っていた。

近すぎる人間関係、近所付き合いに辟易するのも、そういう環境にいたから。
居なければ知りもしなかった。

今は、時代変化も相まってそういう環境にはない。
田舎の関係もだいぶ変わったと聞く。

それでもふと懐かしくなる。
歩けば挨拶を交わし、家に帰れば、挨拶した人と話した家族から、外部からみた自分の話を聞く。
何もかもが筒抜けで、何をどうしても誰かに見られ誰かに伝達される。
見張られてる感覚しかなかったあの町とあの時代。

嫌だったけれど、あそこで過ごした時代は、私の中に残り、多分今の私を作っている。今でもふと海が見たくなるのはそのせいだろう。

また暑い夏がやってくる。
夏の太陽を反射してキラキラ光る田舎の水面をまた今年も目に焼き付けておこう。

折れそうになった時の支えになるかもしれない。

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