2021/4/22過去と現在

仕事が終わり帰宅する。日付が変わる頃。ご飯を食べながらぼーっとテレビを見ていたら、子どもが初めて炭酸を飲んだという内容のCMが流れていた。それを見て、私は自分の幼少期と重ねてしまって、近くに居た母に向かって泣きながら過去を振り返った。

私の家庭環境はどうにも複雑で、側からみれば父母姉弟からなるごく普通の一般家庭だったが、中を覗くとただの暴力と親の身勝手な行動が絶えない家族だった。 
父も母も外面は良かった。子供二人も似て外面が良かったから、何事も無かったかのように見せていた。
日常的に行われる虐待、暴力は常日頃から。私も弟も体の至る所に痣や傷をつけて学校に行っていた。周りから何か言われたら、適当に「転んだ」「ぶつけた」って返していた。
少しでも片付けが出来なければ、例え学校で使うものであっても捨てられる。ノートも教科書も破られた。教材も捨てられた。朝ご飯は毎日用意は無くて、周りにあるものを自分で用意して食べていた。夕ご飯はあったけれど、食べさせてもらえる日は週の半分位。それは親の気分次第だったと思う。親の思い通りに行かないと、殴られるか、何時間も正座させられるか、何時間も家を追い出され閉め出しをくらうかが大体のお決まりだった。

父の休みの日になると必ずパチンコ屋に行く。私と弟はお店の前で帰ってくるのを待つだけ。「何かあったら電話して」と言われるから、お腹が空いた時に電話をかける。ほぼ絶対って言っていい位、機嫌の悪い親が出てきて怒鳴られるか500円玉を渡されて適当に済ませて、と言われる。私は弟が可哀想だな、って思っていたので出来るだけ弟が飲食出来るようにご飯を買った。
たまにお店の人が私達の事が気になって外に出て来る。「お母さん、お父さんはどうしたの?」と聞いてくる。そのたびに「お店の中にいます。」と答える。何度か店内放送で親が呼び出された事があった。しばらくして物凄い顔をした親が出てきて、怒られた。叩かれた。
夏は暑くて喉がすぐ渇く、冬は寒くて凍える。でも、親はパチンコ屋で楽しく寒くも暑くも無いところで過ごしている。
前に一度だけ、冬に店員さんが私と弟にコンポタ缶をご馳走してくれた事があった。それを知った親は「そんな勝手な事をして、貰ったりなんかして」と怒鳴った。

お小遣いなんて貰えなかったし、誕生日もクリスマスも殆ど無かったし、お年玉も殆どなかった上に貰ったものの大半は没収された。親曰く生活費に充てたらしい。
私は誕生日やクリスマスにプレゼントを貰っていた友達が羨ましかった。お年玉で欲しいもの買っていた友達が羨ましかった。家族とお出掛けしたり外食したりする事が羨ましかった。何よりも、躾という名前の暴力がない事に驚いた。
私も叶うなら、誕生日やクリスマスは祝って欲しかったし、特に欲しいものはなかったけれど、プレゼントも欲しかったし、お小遣いやお年玉でお買い物もしたかったし、家族で商業施設に行ったり、外食してみたかった。

弟が幼稚園児だった頃、その辺に置いてあったライターで遊んでしまった事があった。その事を知った父は弟に正座をさせ、何時間も怒鳴り、火は危ないぞと言いながら弟の手を炙った。
母は隣で見ているだけ。私は怖くて怖くて、隣の部屋に逃げた。現実から目を背けた。

私も弟も子どもの頃、やりたかった事は全部却下された。習い事とか、友達と放課後遊ぶ事とか。高校受験も本当に行きたかった高校も選ばせてもらえなかったし、私立の併願もさせて貰えなかった。本当は進学して学びたい事もあった。
併願や進学が出来なかったのは、我が家がどちらかと言えば貧乏だったから。
何もなければ裕福でも貧乏でもない、ごく普通の家庭だった筈なのだが、両親共にギャンブラー、父がヘビースモーカーで酒乱、母は月に漫画を何十冊、お菓子を定期的に大量に買ってくる、父が過去に借金をしてしまって(これはギャンブルが理由ではない)その返済で家計は常に火の車だった。
わかっていても、どれも辞めてくれない。けれど、子供には何もかも我慢させていた。親がどれかを辞めたり、控えたりしたら、少しだけでも子供もやりたい事できたと思うんですけれどね。
タバコ一日二箱を一つ減らすとか、ビール二本と焼酎2〜3杯も半分にするとか、漫画やお菓子も減らすとかしたら、高校も併願して安心して進学出来る、大学や専門学校に通う事だって出来た。でも、親は子供の先の事よりも自分の目先の欲だけで生きていた。そんな親はどうしてでも高校は卒業しろと口を酸っぱく言ってきた。公立しか受けられない私達は落ちたらどうするつもりだったこだろうか。

お互い高校生になってからアルバイトをして、卒業しても就職をして、少しずつやりたい事をやり始めた。父には「好き勝手して、いい身分だな」と嫌味を言われる。弟は就職と共に家を出たので、直接言われる事は無くなったが、私はまだ実家に居るので時々言われる。
こんなんでも実家にいる理由は単にお金がないからです。月に5〜8万を家に納めて、病院代が月に1〜2万、クレカが月に1〜3万(主にチケット代や遠征費)かかるので、現場行く数は減って貯金も始めたけれど、どうしても支払う額が圧倒的に多い。

弟は子供の頃の記憶が殆どないって言っていた。嫌な事に蓋をしたんだと思う。
そんな人生を歩んできた私は気付けば、PTSDと境界性人格障害と鬱病になっていた。
元々幼少期から、明らかに精神疾患であろう症状はいくつもあって、親に相談して精神科に受診しようと試みたが『本当に辛い人はあんたみたいな感じじゃない』と、一蹴されて社会人になって自分から行くまで行けなかった。医者には来るのが遅過ぎると言われた。それはそう。
周りには『そうは見えない』と言われがちだが、自分では“でしょうね”と常に感じる。病気なんで誰もがなりたくないよ。
この一連の話を隣で聞いていた母に向かって私は「父も母もそうはいっても、全てに於いて悪いとは思ってないと思う。」って言ってしまった。それに対して「もう何を言っても言い訳になるだけだから言わない。」と答えられたのだった。
私はどんな答えが返ってきたら納得したのだろうか。考えてみたけれど、何も思いつかない。
クシャクシャにした紙と同じで許している気がしているだけで、多分、一生許せないんだと感じる。

精神安定剤と眠剤飲んだ後なので、支離滅裂な文書になってますが、これが私の子どもの頃のちょっとしたお話です。こういう人生歩んできました。
何しててもにこにこにこにこしていて、好きな事して幸せそうだねって思われがちですが、家庭環境は杜撰なので、そうでもないです。
私はもう良いので、せめて今幸せそうにしている弟の幸せが続いて欲しいと願っている。


おわり。

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