初詣という習慣は、明治時代から。京浜急行の新聞広告が起源なのです。
昨日、TVで「チコちゃん…」をボーッと見ていたら大いに驚いたというか、落胆したとさえ言ってもいいことがあったので、ちょっと言わせてください。
それは、ワガクニには初詣という習慣が川崎大師から始まったということを知らない人が多いということ。小学校の2〜4年の間、川崎大師門前の商店街を遊び場にしていた僕にとって、初詣とは川崎大師と京浜急行が始めたキャンペーンだということを周りの大人から聞かされ、ちょっと誇らしく思う常識だったからです。
興味ないかもしれないけれど、もう少し詳しく言わせてもらおう。
明治5年に新橋〜横浜間に鉄道が敷かれた後、途中駅の川崎で下りて、一時間くらい歩いて川崎大師に参拝する人が増えた。だったら川崎(今の京急川崎)〜川崎大師間に鉄道を敷いたらどうか? という人物が現れ、大師電気鉄道という会社を設立する。それが京浜急行の始まり。ついでに言うと、これが関東で最初の“電車”でした。
今も京急川崎駅のホームを一階に下りると、暗くて地味な大師線のホームがあるけれど、京急の支線だなんてとんでもない。あの路線から京浜急行の歴史は始まったのですよ。
で、いちどは”電車”に乗りたいハイカラ好きな東京の庶民は、お正月というおめでたい時期に電車に乗ろうと川崎大師にお参りするようになった。とは言え東京から恵方の方角にあたる年には大いに賑わい、恵方にあたらない年には他の寺社に参拝客を奪われてしまう。そこで参拝客の数を安定させようと考えた京急は、「恵方詣り」の言葉を借りて「初詣り(はつまいり)は川崎大師」という広告を新聞に載せた。これがヒットして、川崎大師は恵方には関係なく、毎年賑わうようになった。そしてもちろんその広告コピーこそが、初詣という言葉の語源となったのであります。
今でも年末年始になると、沿線では「初詣は川崎大師」という広告を見かけますが、あの地味な広告には、そんな歴史があるのですよ。
ちなみに、それまで日本には初詣という習慣は無く、それぞれの神社仏閣ごとに定められた縁起のいい日(つまり縁日)にお参りしていたとのこと。たとえば川崎大師は毎月21日で、1月は初大師と呼ばれています。
そんなわけなので、皆さん京急に乗って川崎大師に行きましょう。あの暗くて地味な大師線は、初詣を発明した、とてもありがたい路線なのです。改札所に山門を建てたいくらいです。平日の昼間っから酔っ払いが多くて驚くかもしれないけどね。
ついでに言うと、川崎大師の駅を下りて左。門前商店街の入り口左手に、6階建てくらいの小さなマンションがあります。そこは、僕が高校時代に、3年続けて年末年始のアルバイトしていた蕎麦屋の跡地です。12月30日〜1月7日まで、毎日徹夜で蕎麦を運んだり、ゆで卵をむいたりしていました。ご飯は手が空いたときにカツ丼をいただきます。最初は嬉しかったけれど、毎日毎日カツ丼ばかり食べていると、もう吐きそうなくらいに飽きてしまいます。今でも僕はカツ丼を食べないのですが、それは、そのアルバイトのせいなのです。
写真は川崎大師とは関係なくてごめんなさい。
お正月に神奈川県の真ん中あたりから眺めた、左から箱根〜富士さま〜丹沢方面の日没です。皆さん、今年もよろしくお願いします。
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