ヘブバンのシナリオをソシャゲ運営的メタ視点で考える
※※注意※※
本稿はヘブバン2章終了までのネタバレを全力で行います。
本稿は、ヘブバン2章をクリアし「最上の切なさを」を標榜するヘブバンの一旦の方向性が見えてきたので、運営戦略的に一番近しいと思われるFGOと比較しつつ、ヘブバンの今後のシナリオの方向性なんか運営メタ視点で考えてみる、って内容です。
【シナリオでキャラを売る場合の構造問題】
まず最初に、キャラマネタイズ型のソシャゲにおいて起こるシナリオの構造問題について触れておきたい。
今回の記事の「運営メタ視点」というのは、まさにこの問題をどう解消するのか? という話になるからだ。
ソシャゲでキャラを商材にしており、かつオリジナル作品の場合は、シナリオが非常に重要な役割を持つ。
なぜなら人気マンガ・アニメのゲーム化と違って、プレイヤーはそのキャラに思い入れなど無い。
そんな状態からキャラクターの魅力を伝え、愛着を持ってもらうことが、オリジナル作品のゲームシナリオに課された役割だ。
そのためには、そもそもシナリオを読んでもらうにはどうするか? など、色々と考えることは多い。
だが今回は特に「キャラ立て」という点に絞って話そうと思う。
キャラクターに愛着を持つ、魅力を感じるということは、この「キャラ立て」に成功したということだ。
「キャラ立て」を成功させるためには、キャラクターが行動理念や信念を明確に持ち、それがシナリオ中で描写されないといけない。
行動理念や信念を読み手に伝えるためには、セリフだけでなく劇中の行動がしっかり伴わないとダメだ。
そして、それをより強固にするのは、自分の命・身体よりも信念を優先するような展開だ。
「意地・矜持を貫いた先に力を使い果たし、主人公(プレイヤー)と別れを迎える」
使い古された展開だが、これが王道にして効果的なのは間違いない。
読み手の心を動かし、キャラクターが魅力的に見える。
救済意欲が湧いたり、喪失感が一緒に冒険したい気持ちへと変わることもあるだろう。
しかしこの手法、キャラクターを商材にしたときに大きな問題に直面する。
それは――
「別れたり、死んだはずのキャラクターが、プレイヤーのユニットとしてその後も平気な顔でゲームに参加してたら、世界観ぶち壊しだよね」
ってことだ。
【FGOの「英霊の座はスゲー」って話】
というわけで、キャラマネタイズ×シナリオの構造問題について語ったわけだけど、これの対応策は何パターンかある。
『バトル部分は、ゲーム都合ってことで深く考えないでくださいで押し切る』
これは正直、シナリオで勝負するなら避けたい。
『売り物にするキャラは絶対に死なせない。死なせない範囲でキャラ立てを頑張る』
これは割と見かけるが、キャラを魅力的に見せるハードルが高くなるのでライターの技量が問われる。
自分が運営した時はコレだったけど、自分で書く時も大変だったし、委託したライターにも負担だったと思う。
『世界観や設定で矛盾が出ないように吸収する』
おそらく、この構造問題への最適解がコレ。
そしてFGOが成功しているのは、この形の世界観構築に成功している点が大きいと考えている。
具体的には「英霊の座」という設定だ。
この記事を読んでいる人間には説明など不要な気もするけれど、一応ザックリと。
FGOでキャラクターとして登場する、サーヴァントと呼ばれる神話の英雄や偉人たちは、この「英霊の座」というものに登録されており、そこからコピーされて世界に現れる。
この設定により、FGOの世界観/シナリオには以下の特徴がある。
構造問題を踏まえてから、この「英霊の座」の設定を見ると、なんともキレイに問題を解消している。
FGOは
「ターミネーター2でT-800が溶鉱炉に消えるシーンを見せたあとに、ガチャでT-800を売るようなゲーム」
などと揶揄されたが、個人的にはそれをやっても、ある程度ユーザーが受け入れられる世界観や構造こそが注目すべきポイントだと思う。
FGOはこれからも、シナリオ毎にT-800を溶鉱炉に沈め、ガチャで売り続けるだろう。
それを世界観の大きな破綻無く続けられることこそが、FGOの強さなのだ。
【ヘブバンは、この構造問題にどう向き合ったか?】
さてようやく本題。
ヘブバンは、この構造問題にどういう回答を出したのか? って話だ。
1章や限定シナリオ「優しさと切なさと心強さと」を見終えた時は、『売り物にするキャラは絶対に死なせない』路線なのかなと思っていた。
ライターにとって負担があるが、このクオリティを出せるのならば何も問題はないだろうなと思い、読み進めたワケだが……。
2章で蒼井死んじゃったじゃん……!
マジかあ……。
いや、シナリオ的には大変良きものでしたが……。
その後も、蒼井は普通に編成に入れて戦闘できるんだよね。
つまり現状では『バトル部分は、ゲーム都合ってことで深く考えないでくださいで押し切る』のパターン。
これは、シナリオの出来がいいだけに、ちょっとぶん投げ気味な印象はある。
そして一番大きな課題が「キャラの喪失に対して、救済感が薄い」ということ。
蒼井が死んだことで、セラフ部隊は死ぬことでナービィへと変わることが明かされたが、記憶も消えているし、一個の人格としてはやはり「死」と同等の喪失感がある。
昨今は「なろう小説」の隆盛に見て取れるように、読み手のストレスを出来る限り緩和した作品に溢れている。
その中でヘブバンの掲げた「最上の切なさ」は、輝く日常と戦闘の中での喪失という対比で、これからも描かれるのだろう。
それは、ある意味で流動食のようなストレスケアされたシナリオに慣れた層には、咀嚼するの辛い骨太なシナリオとも言えるのだ。
これに耐えられないユーザーは2章で離脱する可能性がある。
魅力的なシナリオでもって、ストレスを受け止めてなお楽しめるようにユーザーを教化できるか? それが今後のヘブバンの課題になるのではないだろうか。
【ヘブバンに救済は無いのか?】
「キャラの喪失に対して、救済感が薄い」
と書いたわけだが、この先のヘブバンのシナリオに救済は無いのだろうか?
個人的には、やはり何らかの形で救済はあるのではないかと考えている。
運営メタ視点で考えると、蒼井のようにインパクトある印象付けに成功したキャラが「このまま退場」というのは、ビジネス的な側面で非常にもったいないからだ。
現状の結末を覆さない形でキャラ売りするとなると、限定イベントで存命中の時系列のシナリオを作るという方法もあるが、難しそうだ。
なぜなら現状、基本的に月歌の視点で物語が進むので、月歌と蒼井が出会ってからの期間に限られる。
メインストーリーの展開は1日単位での進行なので、「実はこんなことが間にあったのでした」という形でねじ込める隙間が無いのだ。
となると、この後シナリオの展開として救済方法が見つかる形にせざるを得ない。
とりあえず、今のところ気になっている要素は2つ。
●死んだセラフ部隊員はナービィになる。
2章で蒼井が死んだことで、死後セラフ部隊員はナービィとなることが明かされた。
しかし、3章で死体を見せてもらえないという話が月城から出ているので、実はナービィ自体が仮死状態のようなものであり、シナリオが進むことで、過去のセラフ部隊含めて全員復活! 大団円! という可能性も無いでもない。
●月歌が時間操作能力を持っている可能性。
ホームに登場している黒猫。人語を解す存在だが一切の説明がない。
ゲーム的な存在なのか? と思いきや2章で野営中の月歌が、周囲に居ないはずの猫の鳴き声を聞いているため、この黒猫はシナリオにも関わる存在と思われる。
そう考えた時に、「記憶の庭」という要素はゲーム的な機能なのか? という疑問が湧いてくる。
ホーム画面から行っていることは、実際に黒猫、もしくは月歌の能力なのかもしれない。
そう考えると、交流機能などは、実際にシナリオ中には行わなかった出会いを、時間の流れごと書き換えているようにも捉えられる。
いや、もしかしたら、HOMEの月歌は全ての戦いを終えて、キャンサーによる人類絶滅を経験した後の月歌であり、ヘブバンのストーリーは彼女の記憶による過去の追体験と、過去を書き換える物語なのかもしれない。
そう考えれば、これもまた最後は大団円の可能性がある。
死に戻り系シナリオは、容赦なく人が死ぬ。
逆説的に、容赦なく人が死ぬシナリオは、死に戻り展開を予定している場合があるのだ。
まあ、この辺りは妄想に近いのだけれど、こういう救済の可能性を今後のプロモーションの中で匂わせたりしていけば、短期的なストレス展開にも耐えて先を見届けようというユーザー心理を喚起できるのではないかとも思う。
とりあえず、2章終わった勢いで書き始めたが、書いてる間に3章が公開された。
とりあえず、まだ3章DAY2なので先を進めるよ。
【前回の記事について】
プレイ直後の印象をnoteにまとめた記事だけど、ゲームを進めたあとに見直すと、まだ理解が追いついて無かったなという部分が散見される。
記事の論旨は、今でも変えるつもりはないけれど、細かい部分はあとでっ追記するかもしれない
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