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戦後に関するふたつのニュースレター

コリエーレ紙のニュースレター。仕事がら購読しているのだけど、これがいつも面白い。いろいろ教えてくれる。今日はさしあたり2つの記事が気になった。

1つはトーマス・マンのこと。ヴィスコンティの映画を調べると避けて通れない作家だけれど、彼の反ナチズムは興味深い。曰く「その政治はいわばグロテスクの政治であり、大衆的な不随意的発作にあふれ、まるで遊園地のような歌声がひびき、ハレルヤが叫ばれ、モノトーンなスローガンをマントラのように繰り返して、ついには誰もが口に泡を吹くようになる」(una politica del grottesco, satura di involontari parossismi di massa, cantilene da luna park, urla di alleluia e ripetizioni in stile mantra di monotoni slogan finché non avevano tutti la schiuma alla bocca)。

マンは亡命した以来、ほとんどドイツに帰らなかったけど、それは歴史的反省のない自国民への嫌悪からだという。同時に、自分自身も嫌悪していた。それが晩年の作品『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』に現れているという指摘。曰く「偉大な作家にして悪党であり、いつだって自分自身と他人から「称賛されるような」信念を披露しようとするのだが、それは歴史の風のなかで宙吊りになっている」(un grande scrittore e un furfante, sempre intento a «rendere plausibile» a se stesso e agli altri le sue convinzioni, sospese nel vento della storia.)という。

2つめは、他の国のレジスタンス。ここではドイツ、フランス、イタリアの戦後の自国の歴史的なイメージが比較される。まずはドイツ。戦後のドイツにおける自国のイメージは、ダニエル J.ゴールドハーゲンの指摘する「ヒトラーの自発的死刑執行人」の存在。すなわち平凡で普通のドイツ人が自らの進んでユダヤ人の間接的にも死刑執行人になったという指摘に揺れながらも、ナチスの所業に対して国としての責任をとり、その記憶を保持しようと努めるということで一貫している。

そしてフランス。フランスはドゴールのおかげで戦勝国のテーブルに着く。しかしドゴールによる臨時政府は、実のところフランスを離れてイギリスにあったものであり、その正当性も継続性もあやしいところがないではない。一方で、ドイツの支配下に入ったフランスではパリではなくヴィシーに首都を移した政権(ヴィシー政権)が成立し、ドイツとの交渉を行うことになる。そこではドイツへの協力が惜しまれなかったと批判される一方で、占領されたフランス国民を守る努力がなされと評価する声もある。戦後のフランス史は、ルイ・マルの『ルシアンの青春』(1974)のような映画こそあるものの、このヴィシー政権との決着をまだはっきりとはつけていないのだ。

ではイタリアはどうか。イタリアにはレジスタンスにおけるアンチ・ナチファシズムの記憶がある。対独抵抗運動とパルチザンの勝利が高らかに歌われるのだが、一方で、ファシストたちもまた同じイタリア人だったのであり、そういう意味での内戦の残酷な側面は好ましいものではないのだが、それを避けてはイタリアの戦後は語れない。まずは文学がレジスタンスを語り、つづいて映画がそれを語るようになるのは、どうしても時間がひつようであり、だからこそ好ましいものではないものは、ついつい「カーペットの下に埃を隠す」ように扱ってしまうわけだ。

同じことを日本でも考える必要がある。「アメリカの影」という表現で加藤典洋が指摘したような事態を、ぼくらは常に思い出さねばならない。東京の午後の空を羽田行きの飛行機が飛ぶようになった今では、その背後に米軍基地の問題があることを思えば、まさに「アメリカの影」は今のぼくらの問題にほかならない。